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『クリューソス』への道中

乗り合い馬車の旅五日目。

『カタカタ…キッ、キィッ』

もう一時間ほどでクリューソスというところで馬車が停まった。

「あれ?どうしたのかな?」

「何かあったようですね」

僕らがこそこそ話していると、窓から覗いていたおじさん達がハプニングに興奮したのか大きい声で説明し始める。

「でっかい穴に車輪が落っこった馬車が止まってんだよ。ありゃあ、なかなか出せないぜ」

「本当だ。完全にハマっちまってるなあ」

「街道に穴?なんでそんなもんあるんだ?」

どうやら前を走っていた馬車が事故に遭ったようだ。

(こういう時ってどうするんだろう…?)

そうこうしていると、今度は後ろの乗り口が開いた。

「あの、皆さんにお願いがあります。あちらの四人乗りの馬車が穴にハマってしまいまして、お客さんをこちらに乗せてやりたいのですが…」

御者のおじさんが申し訳なさそうに僕らに頭を下げた。先程まで賑やかに話していた乗客のおじさん達が急に黙って顔を見合わせる。

『パンパン』

その時、これまでずっと一緒だったおばさんが手を叩いた。

乗客達の目がおばさんに集まる。

「仕方ないね。ちょっと狭いけど苦しいときはお互い様だ。あと一時間ほどなんだし我慢するか」

お互いに様子を伺っていた乗客も反対する者はなく、おばさんがそう言ったことで四人の乗客が乗ることになった。

「助かりましたのぉ」「ありがたいのぉ」「お邪魔してすまんのぉ」「助かったぜ」

乗ってきたのは三人のお婆ちゃんと一人のお兄さんだった。

八人が四人ずつ向かい合わせに座っている間に新しい乗客が立つ形で馬車がゆっくりと動き出した。

「今日は全くツイてんだかツイてないんだかわかんねえなっ。初めまして、俺はミハエルって言うんだ。クリューソスの商人で、ちっとは知られているんだぜ」

お兄さんは僕とアメを見ると、驚いた顔をした後、既に僕らの前に立っていたお婆ちゃんを押し退けるようにして話しかけてきた。

「はぁ」

僕が適当にミハエルの話を聞き流していると、後ろの乗り口の窓の外に例の穴が垣間見えた。

(ん?…あれは…。何だか気になる…)

「なあっ、お嬢さん」

呼ばれていることに気づいて見上げるとお兄さんが僕に話しかけていた。

「お嬢さんはクリューソスは初めてかい?…その格好は砂漠の街から来たんだろ?…どうだい、俺がクリューソスを案内するぜ」

「はあ…」

明らか適当に僕が返事をしているのに延々喋り続ける。

これまでも男からいろいろと話しかけられたけど、やはりと言うべきか、ミハエルの視線は僕の顔とシャツを押し上げる胸の膨らみを行ったり来たりしていた。

(はぁ…もう無視しよ…)

「ふう、ふう」

ミハエルから視線を外すと、ふと、苦しそうな息遣いに気がついた。そっちを見るとお婆ちゃんの一人が何だか辛そうにしていた。

「お婆ちゃん、どうぞ座ってください」

僕は立ち上がって席を譲る。ハルとアメも立ち上がってお婆ちゃん達に席を譲る。

「いやいや、わしらが邪魔をしとるんだから、もう少しだしの」

「それなら俺がすわっ…いてっ」

「なんでアンタが座るんだよっ」

ミハエルのお尻をおばちゃんが蹴った。

「ありがとう、お嬢ちゃん」「馬車に乗せてもろうた上に席まで譲らせて…すまんのぉ」「何かお礼をしたいのじゃが…」

「いえいえ、お礼だなんて…。お婆ちゃん達はクリューソスに観光ですか?」

「実はわしらのそれぞれの子供がクリューソスに住んどってな。孫達が祭りに招待してくれたんじゃ」

お婆ちゃん達はお孫さんのことを嬉しそうに話す。

ところが、そうこうして走り出したと思ったら、御者席と客席を繋ぐ木の小窓が開いて御者のおじさんが吃りながら叫んだ。

「ジャッ、ジャッ、ジャイアントフロッグだっ」

「まっ、まじかっ」「おいっ、どっ、どうするんだよっ?」

僕も窓から外を見ると、フロッグ達がその巨体をこっちに向けている。

(馬車に気づいてるっ)

「御者のオッサン、スピードを上げろっ」

ミハエルの言葉に止まりかけていた馬車の速度が上がる。

ジャイアントフロッグは沼地に生息する魔物で、蛙と聞いたら可愛いけど、その名が示す通り体長が三メートルほどの巨大な蛙の魔物だ。その脚の膂力は人間の体を蹴りちぎるほどだ。

さらに旺盛な食欲で舌を伸ばしてどんな獲物も丸ごと呑み込む。危険な魔物で、ハンターギルドでも現れたら被害が大きくなるため他の魔物に優先して討伐される。大きな体の割りに動きも機敏で複数いる場合はBランク冒険者でも危険な魔物だ。

(この距離じゃ逃げ切れない…五体か…)

戦うしかない、そう考えているとビュッと一陣の風が吹いて髪が巻き上がった。

「いきなりなんだっ?…おっ、おいっ、アイツがいねえっ」

後ろの乗り口が開いていて、ミハエルの姿が消えていた。

「まさかっ、…くそっ、あの野郎っ、馬車を囮にしやがったなっ」

フロッグ達は馬車の進路を先回りするように向かっている。

「うわあああっ」

御者のおじさんの叫び声の直後、ドカンと何かがぶつかる音と激しい衝撃が馬車を襲う。

「あわわっ」

立っていた僕は激しい揺れにしゃがみこむ。

「倒れるぞおっ」

誰かの声がして、馬車が倒れた。

「痛てて…」「うぅ…」「くっ…」

「みんな大丈夫かいっ?」

比較的元気なおばさんが怒鳴る。

「ううっ、なんとか…」

動ける人から順に馬車を出る。幸い、全員軽傷で済んでいた。

「はっ、早くしろっ、前から来るぞっ」

先に出た客達が走り去る足音。

「ここ数日は魔物が活発だって聞いたけど、なんだってこんな時期に出るんだよっ。お婆さん達っ、逃げるよっ」

おばさんが椅子に小さくなったお婆ちゃん達に手を貸そうとする。

「おばあちゃんっ、早くっ」

ところが、僕の差し出した手をお婆さんが優しく包んだ。

「ええんじゃ。若いものはお逃げなさい」

「何を言ってるんだいっ」

おばさんが怒鳴る。

「奴等もわしらを食えばどこかへ行くかもしれん」

おばさんとお婆さん達の問答の間にもドスンドスンと地響きが近づいてくる。

(このままじゃ間に合わないっ)

「僕らで倒そうっ、行くよっ」

僕が杖をもって馬車から飛び出すとハルとアメも続いて飛び出す。

「お嬢ちゃんっっ」

おばさんが馬車の扉から叫ぶ。

「おばちゃんっ、おばあちゃん達をお願いっ」

その時、先程逃げ出した乗客のおじさん達が息を荒げて戻ってきた。

「おいっ、後ろもだめだっ、三体見えた」

(前から五体、後ろが三体…、おかしい…なぜ後ろの奴らは追いかけてこないんだろ?)

おじさん達を貪欲なフロッグが無視するとは考えにくい。つまり、おじさん達以外にフロッグの獲物が後ろにいるという事だ。

(そうかっ)

「ハルっ、アメの二人は前の五体をお願いっ」

「お嬢様はっ?」

「僕は後ろの三体をやるっ。奴等がこっちに来ないのはおそらくミハエルがいるからだっ」

僕は馬車を引いていた馬を一頭外して乗る。

「お嬢様っ、一人でなんてダメですっ。まずは前をやってから…」

「それじゃ、ミハエルを助けられないっ」

「なぜですっ、我々を囮にして自分だけ助かろうとしたような男ですよっ」

「確かにそうかもしれない。だけど、これで生き残ったら彼を囮にして僕らが助かるって意味だっ。助けられるのに助けなかったら、それって僕らが殺したのと一緒だっ」

ハルとアメの顔色が変わる。

「じゃあ行くよっ。お互い倒したらここに集合ねっ」

馬に「お願いっ」と言うと走り出した。


◇◇◇


(いたっ。間に合ったっ)

ちょうどミハエルがジャイアントフロッグに追いつめられて這いつくばっているところだった。

「馬さん、ありがとう。離れててっ」

降りようとすると、馬はいなないて嫌がる。そしてさらにフロッグに近づいた。

「これ以上は危ないよっ」

ジャイアントフロッグが僕らに気づいた。

ミハエルよりも食いでのある馬に反応したようだ。

「いい?僕が飛び降りるからそのまま走るんだよっ」

フロッグ達の注意は馬に向かっていて僕からは逸れている。

『ビュンッ』

二本の舌が飛んできた。

「行ってっ」

飛び降りながら仕込み杖から刀を抜く。

『シュッ』

『ドサッ』

落ちた舌の先がビクンビクンと跳ねている。

「ギャアアアア、ゲロゲロゲル」

二体が叫ぶ。目標が僕に切り替わった。

「今の間にっ」

「あわわわ、ひいいい」

ところがミハエルは四つん這いのまま動かない。腰が抜けたようだ。

(仕方ないっ)

「ミハエルはそこで動かないでっ。おいっ、こっちだっ」

大きな声で僕は注意を引くと、鞘を捨てて下段に構えた。

「ゲロゲロゲロゲロ」「ゲロー、ゲロゲロ」「ゲロゲロゲレ」

三体が僕を囲む。

「来いっ」

一体が舌を飛ばす。だけど、これは予測の範囲内。躱しながら斬り上げる。

「ゲコオッ」

これで三体全て舌による攻撃はなくなる。

(舌が使えないとなると…)

一体の足が地面を踏みしめる。

(突っ込んでくるしかない)

とは言え、体重が僕らの何十倍もあるフロッグの突進をまともに食らえば簡単に命を落とす。僕は転がることで跳んできたフロッグを避けた。

(ここだっ)

自分で撒き散らした砂埃で一瞬僕を見失っている間に後ろから背中の急所を一突き。

「ギェコオォォ」

振り向いて確認するまでもない。サイドに僕が跳ぶと同時に別の一体が跳んできていた。

『ドンッ』

今、急所を刺したフロッグが後ろから跳んできたヤツにはね飛ばされる。

もうもうと砂埃が舞う中、突っ込んできたフロッグはやはり僕を見失ったように左右を探している。その僅かの間に僕は落ち着いて背後から斬り捨てた。

「ギェエエエッ」

(あと一体はっ)

気配が消えた三体目を探していると、地面が薄暗いことに気がついた。

(上っ)

僕が飛び退いたところに間髪いれず最後の一体が落ちてきた。

『ドゴォンッ』

あまりの衝撃に街道に足跡が残った。

(さっきの足跡はやっぱり…)

馬車の車輪が落ちた穴はこれだった。

「あとはお前だけだっ」

ところが、最後の一体は僕を見ていない。

(んっ?)

フロッグの視線の先を追うとミハエルがほうほうの体で逃げ出そうとしている姿があった。予想外の抵抗にあったフロッグは目標を変えたのだ。

(なんでっ?動くなって言ったのにっ)

フロッグの脚の筋肉が膨らむ。

「まずいっ」

(跳ぶつもりだっ)

そして、僕の推測通り、フロッグが跳んだ。

『ビュンっ』

間に合わないっ、ミハエルがフロッグに押し潰されて肉塊に変わる絵が頭に浮かぶ。

だが、その瞬間、ミハエルの前に黒い影が割り込んだ。

「アメっ」

アメは刀を交差させてミハエルの前に立ちはだかる。

(アメの力じゃフロッグは止められないっ)

『ヒュンッ』

しかし、アメの体までフロッグが届くことはなかった。

空から降ってきた影が跳んでくるフロッグの体を貫き、串刺しにしたのだ。

フロッグはしばらくピクピクと動いていたけど、完全に動きを止めた。

「お嬢様、怪我はありませんか?」

「ハルっ、アメっ、大丈夫?ありがとうっ」

駆け寄る僕の前でハルとアメの体が輝いて血塗れの執事服とメイド服が洗いたてのようになった。

「お嬢様、お見事でした」

確かに、僕は村正なしで上手く戦えた。

(夢のおかげかもしれないな)

村正がどこかへ消えてかなり経つ。そして、それと同じだけ夢を見るようになった。夢の中で僕は十年以上剣の修行をしてきたのだ。

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