僕はこの国に来た頃のことを断片的にしか覚えていない。
覚えている一番古い記憶は、ある夜のこと。
王様に会った日の夜だったと思う。王宮のふかふかのベッドで寝ていると夜中になんとなく目が覚めた。
どうも妙な胸騒ぎがしてドアを少し開くと隙間から明るい廊下を走り回る大人たちが見えた。
(お父さんっ)
初めて見る怖い顔の父さんが周りの大人の人を怒鳴りつけていた。
僕は怖くなってベッドに戻ったけど、なかなか寝つけなかった。
そして翌日から僕は王宮でしばらく暮らすことになった。何かがあったことは父さんが毎日忙しそうに走り回っていることからなんとなく分かった。
だけど、聞いてはいけない気がして、僕は何も聞かず、同じくらいの年のエルザ姫と遊んだり剣の稽古をして過ごした。
それから、ようやく王宮での生活にも慣れた頃に突然、僕と父さんは海に近いケルネという町に引っ越すこととなった。
エルザ姫とのお別れは少し寂しかったけど。
今度の家は、城に較べるまでもないほど小さな家。
部屋は4つしかない。
僕と父さんの寝室、居間、キッチン、ダイニングだ。
地下室があるけどそこは鍵がかけられていて僕は入ってはいけないと言われていた。
この家に住んで最初の日の朝、お父さんから大和には帰れないと言われ、泣いて庭に出た。
その時一人の男の子に出会った。
その翌日。
剣の稽古をしていると再びその男の子が現れてびっくりした。ジェイクという名前でお隣の男の子だったらしい。
ジェイクは僕の3歳上で学校でも町でも人気者だった。
お互いお父さんと二人暮らしのせいか、色々と面倒を見てくれてお兄ちゃんがいたらこんな感じなのかな?って思った。
学校でも乱暴な男の子に容姿を馬鹿にされることもあったけど、基本的にはジェイクのおかげでいじめられるようなことはなかった。
ジェイクは将来はお父さんの跡を継いで漁師になるんだと何度も海を見ながら話してくれた。
そうこうしている間にジェイクは18歳、僕は15歳になろうとしていた。
僕は勉強が出来たせいで、今年、ジェイクと一緒に学校を卒業する。
◇◇◇◇◇
今日はジェイクに誘われて学校の帰りに町に出てきた。
「おっ、アオイちゃんっ!お父さんにはこの間助けられたよ」
行商のおじさんが馬車から林檎を取り出して僕とジェイクに差し出してくれる。
「葵ちゃんこれ持って帰りなよっ!」
肉屋の主人が猪の肉をくれる。
父さんがこの町の近辺に出る魔物を倒しているせいか、お店の前を歩くと色んな人が話しかけてくれる。
「ジェイク、葵ちゃんを守ってやるんだよ」
魚屋の店先でおばちゃんにジェイクも声をかけられていた。
「はいはい、おばちゃんっ!」
なんだか知らないけどこの町では僕はジェイクに守られる存在らしい。
もうすぐ15歳になるのに身長はなかなか伸びなくてこの間160センチにやっとなった。18歳になったジェイクは180センチもあって体格もいいので並ぶと僕が守られる側になるのは仕方ない…のかな。
◆◆◆◆◆
15歳になった誕生日の夜。
「誕生日おめでとう、葵」
「ありがとう、父さん」
父さんとささやかなお祝いの夕食を食べた。
「お前も強くなったな」
「そんなこと…」
「いや、お前も最近は私から10本に2本は取れるようになったんだ。その年なら十分だ。今日は15歳になった祝いも兼ねて、お前に地下室を見せよう。ついてきなさい」
そう言って、地下室に向かう。
『ガチャ』
鍵が開けられて地下に光が差すと階段が見えた。
父さんが先に降りていくのに僕もおそるおそるついていく。
階段は10段ほどで地下室の床に降りた。少しかび臭い、ひんやりとした部屋だ。
父さんが壁の蝋燭に火をつけて回ると、部屋の全貌が明らかになった。
立派な2本の刀とその他の様々な長さの刀が陳列されていた。
「葵、なにか聞こえないか?」
僕を観察するようにじっと見つめて父さんが聞いてきた。
「えっと…静かな部屋ですけど…」
そう言うとどこか寂しそうな、だけどホッとしたような声で父さんが独り言のように呟いた。
「そうか…うむ、聞こえないのなら良い」
それだけ言うと蝋燭を消して再び階段を上がる。
(えっ?)
階段を登っている途中で誰かに呼ばれたような気がして振り向いたけど、気のせいのようだった。
その晩は地下室での父さんの顔が気になってなかなか寝付けなかった。
『ゴソゴソ』
隣のベッドから抜け出す音がした。そして父さんは静かに部屋を出て、玄関が閉まる音がした。
(父さん…こんな時間にどこに行くんだろう…?)
僕も静かに起き上がると父さんのあとを追うことにした。
虫の鳴き声が秋の到来を伝えていた。月明かりの中、父さんはよどみなく歩いていく。
僕もかなり遠くから気配を消すようにして追いかけた。
(この先は…港しかないけど…)
父さんは港に着くと手のひらを下にして右手を前に出した。
すると信じられないことが起こった。手のひらから刀の鞘が現れたのだ。
(えっ?何…これ?)
僕は見間違いかと思って目をこすった。
さらにその鞘がどんどんと出てきて刀の鍔が現れ、ついに柄まで出てきた。
(あんな刀…初めて見た。いつも使ってるのとは違う…なんだろう…すごい力を感じる)
父さんが刀を抜く。
その瞬間父さんの前に一人の鎧を纏った武者が現れる。
僕は驚いて目を見張った。
(あれ?誰?それにどこから出てきたんだろう?)
あまりのことに現実とは思えない。
ぼんやりと眺める僕の前で突然鎧武者が輝きを放ち、一つの輝く光の玉となる。
その光の玉が父さんの体に触れた瞬間、父さんの体の周りが激しく輝いた。
「うっ」
僕はあまりの眩しさに目を閉じる。
目を開いた僕の目の前にあったのは圧倒的な力を全身に纏わせた父の姿だった。
空気までビリビリと震えるような感覚に僕は立っていられず、膝から崩れ落ちた。
四つん這いになって胃の中のものが逆流するのに耐える。
「はぁはぁはぁ…うっ、げぇぇ」
その場で胃の中のものをぶちまけて目の前を見ると父の体から輝きが失われ、刀が再び体に入っていくところだった。
そして僕は気を失った。
◇◇◇◇◇
目が覚めた時には日が昇り始めていた。
「葵、大丈夫か?」
(父さん、あれ?ここは…?えっと…昨日の夜…)
「あっ!」
昨夜のことを思い出した僕が父さんを慌てて見ると起きた時の優しげな目から厳しい目に変わっていた。
「葵、父さんは1週間後の朝、大和に発つことにした」
「えっ?」
「お前も知っているように、あの国には母さんと桜(さくら)がいる。私は母さんと桜を救い、大和を再興する助けになろうと思う」
(母さんと桜が生きているって!?)
「でも…大和は…」
「お前には滅んだと教えてきたが、まだ大和は死んではいない。以前のようにはいかないが、人が暮らしている。実は大和についての情報は以前から父さんには入ってきていた。これまでお前に伝えてこなかったのは、お前が心配するだろうと考えてのことだった。すまん」
「それなら僕も一緒に!」
「駄目だ!」
強い口調で即答されて僕は二の句が継げない。
「お前はまだ弱すぎる。良いか、葵。刀の化身と一体化することで我々侍は人ならざる力を出すことができるのだ。私の『正宗』のように、せめて己の刀の声を聞くほどにならなければ死ににいくようなものだ。それに……私としてはできることならお前にはこの国で幸せになって欲しい」
(昨日地下室に入った時に「何か聞こえないか?」って聞いてきたのはそういうことだったんだ…)
「でっ、でも…」
だけど、それでも言い募ろうとした僕に父はついに厳しい現実を突きつけた。
「今のお前では足手まといなのだ」
そう言われて何も言えなくなった葵に父政信は暖かい目を向けた。
「大丈夫だ。昨夜私の力の一端を見ただろう?必ず母さんと桜を連れてこの街に戻ってくるよ。お前のことは町長さん、それにデレクさんとジェイク君に頼んである。普通に暮らせばあと10年は暮らせるだけのお金を残してある」
「………わかりました。父さんの帰りを待っています」
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