1週間はあっという間で、父さんの出発する朝が来てしまった。昨日はどうしていいのか分からず、僕は結局普段と同じように過ごしてしまったのが悔やまれる。
朝早くというのに、港には何人もの町の人が見送りのために集まってくれていた。父さんは普段の格好から着物に着替えてあの夜の刀、『正宗』を腰に提げている。
そして、町の人達と父さんが別れの挨拶をしている間に、大和からの船が到着した。出発が目前に迫る。船から降りてきた人と父さんが難しい顔で話をしている隣で僕はぼんやり海を見ていた。
「父さん…あの…」
話が一段落ついたところで僕も何か言おうとするんだけど、口を開いたら涙が溢れそうで口をつぐむ。そんな僕の様子に父さんが微笑んだ。
「葵、お前にこの鍵を渡しておく」
涙をこらえて見上げると、父さんが僕の手をとって鍵を握らせた。
「これって?」
「地下室の鍵だ。この間は聞こえなかったようだが、お前はもう十分刀の声が聞こえるほどの実力を持っている。たまには降りてみなさい。もしかするとお前の運命の刀があるかもしれない」
「良いのっ?」
「ああ、だけどな「何だあれはっ!」」
父さんが何かを言おうとした時に大きな声が遮った。
周りの人達が海を指差している。
その指の先には黒い雲があった。
最初は小さな雨雲のように見えた雲が近づくにつれて大きくなる。そして僕の目にもそれが何なのか分かった。
「あれはっ…魔物だっ!」
商人の一人が大声で叫ぶと、集まった人も恐慌に陥った。
大小様々な魔物が見えるけど、大きな魔物はドラゴンや巨人のようなものまでいる。
「全員町に逃げるんじゃ、家に地下室のある者は地下室に、無い者はわしの家に集まるように言うんじゃっ」
白髪まみれの町長さんがそう言ってテキパキと指示を出す。
みんなが逃げる中、僕は父さんを見上げた。
「僕も…手伝えるなら…」
魔物への恐怖で震える僕に父さんはニッコリと笑った。
「葵も帰って地下室に入りなさい。心配するな。私と正宗があいつらを町までは行かせない」
「おいっ!葵っ、行くぞっ!」
ジェイクが僕の手を引く。
「あっ、父さんっ、気をつけてっ!」
父さんは笑って手を振って、「元気でな」そう口が動いた気がした。
僕が後ろ髪を引かれるようにして家に戻って振り返ると、もう港付近まで魔物が来ているように見えた。
(父さん、無事でっ)
そう祈りながら渡された地下室の鍵を開けた。
◇◇◇◇◇
「ふう、順風な旅立ちとはいかないものだな」
政信様がおっしゃるのに私は頷く。
「政信様、私が命に代えましても敵を殲滅致しますので」
「お前はそこで見ておれ、これだけおれば久し振りに力を出せそうだ」
「はっ!」
◇◇◇◇◇
そして、魔物は結局一体も町に来なかった。
1日経って恐る恐る港を見に行った人がありえないものを見たという顔で帰ってきた。
港は魔物の死体で埋め尽くされていたそうだ。
そして父さんと迎えに来た人、それに船は無くなっていたそうだ。無事父さんが大和に着くよう、母さんと桜が元気にいるよう僕は祈った。
それからは町の人総出で魔物の体から素材を集めた。後に町長から聞かされたところによるとこの素材だけで町の大きな収入になったとか。
父さんのおかげだと言われ、僕は1年くらいは暮らせるお金を受け取った。
◆◆◆◆◆
父さんが大和に出発してもうすぐ1年が経つ。
僕の生活は大きく変わっていた。
まず、学校を卒業した僕は、一人で生活をしなければいけない。
特に何をするというアテもなかった僕に町長さんが「父さんの跡を継いで魔物退治をして欲しい」と声をかけてくれた。
もちろん大規模な魔物の集団とは戦えないので盗賊やちょっとした魔物退治をする仕事だ。この町は辺境にあるため、冒険者ギルドの支部もなく、魔物から自分達で町を守らなければならないのだ。
僕は修行の一環としてありがたく引き受けることにした。
仕事がないときもあるけど、父さんの残してくれたお金もあるからそれでも十分足りる。
ジェイクは漁師として、お父さんと一緒に海に出るようになった。特に最近は外洋まで出るようになったみたいで何日も帰ってこないこともある。
それでも帰ってくると必ずうちに顔を出していろいろな土産話をしてくれた。
◇◇◇◇◇
早朝の森。
カーキ色のカッターシャツにズボン。背中まで伸びた髪は後ろで一つにまとめている。腰にはひとふりの刀。
父さんが出発してからというもの毎晩地下室に入るのが僕の日課に加えられた。
何本もある刀の前で声を聴こうと集中してみるのだけど今のところ声が聞こえたことは一度もない。いい加減この中には僕の運命の刀はないんじゃないかと思い始めてきた。
仕方ないから地下室にある数打ちの太刀の中から僕に合った長さや重さの刀を出してきて使っている。
さて、お目当ての魔物を求めてパトロールを続ける。
『ザザッ』
風の音ではない生き物の移動する音。
(来たっ)
『チャキッ』
僕は腰に提げた刀の鯉口を切る。
落ち着いて周囲を警戒する。
五感を研ぎ澄ます。
『ザッ』
地面が踏みしめられる音がすると同時にそちらを向いた僕は突っ込んでくる狼とすれ違う。
すれ違った時には僕の右手は刀を抜き狼の側面を切り裂いていた。
『ドサッ』
後ろでくくった髪が揺れる。狼は受け身もとれず勢いよく地面に転がった。
今日の僕の仕事が終わった。
通常群れで生活するはずの灰狼(グレイウルフ)が一匹群れからはぐれて家畜に被害を与えていたので、できるだけ早く狩ってほしいと昨日から町長に頼まれていたのだ。
「ふぅ」
(この程度ならまだ戦えるんだけどね)
僕の脳裏にはかつて父さんの別れ際に見た数々の魔物が焼き付いている。
(早く強くなって父さんに追いつかないといけないのに…こんなことで大丈夫なのかな?)
実際、この1年で盗賊が出たことは一度もないし、たまに狼やゴブリンが出るくらい。当初は、出来るだけ早く刀の声を聞いて父さんのあとを追いかけようと思っていたんだけど、一年たっても刀の声も聞こえないことで僕としてはちょっと焦りを感じ始めていた。
「さてと」
狼の皮を剥いで牙を抜く。狼は肉としては食べられないので残った部分は邪魔にならないように端っこに埋めて帰路についた。
◇◇◇◇◇
「おはよう…ん?葵君、やってくれたんじゃな?」
町長さんは笑顔で出迎えてくれた。
「はい、外に毛皮があります」
一緒に外へ出ると毛皮を見て驚いたように僕の顔を見た。
「こんな大きなサイズの灰狼じゃったのか…。これを一人で倒したのか、さすがは政信殿の息子じゃて」
「いえいえ、父さんにはまだまだ遠く及びません」
「政信殿は規格外じゃからな。じゃが、葵君には助けられとるよ。近くの街のギルドに頼んだところで時間と金ばかりかかるからの」
そう言って再び家の中に戻る。
「よし、それではお金を払おうかの」
思った以上に大きい魔物だったらしく町長さんは多めにくれた。
それから僕は素材屋さんに向かう。
魔物とは、動物が力を持つようになったものもいれば、オークやゴブリンといった別の種族、さらにその上に龍(ドラゴン)や鬼(オーガ)などがいるとされている。
「こんにちは」
「おっ、葵君、今日か明日かと思って待ってたよ」
本来はこんな小さな町に素材屋さんはないんだけど、去年、大和から魔物が大量に来たため、この国最大の素材屋であるメロヴィング商会の出張所ができた。主に去年の素材を管理するためだけど、こうやって買い取りもしてくれる。
「なんで来るってわかったんですか?」
素材屋さんのルシオさんは40代くらいのおじさんで、もともとこの町の人だったそうだ。給料は安いけどこの町で暮らしたくて戻ってきたらしい。
「灰狼のはぐれだろ?噂になってたからね」
そう言って僕の後ろを見る。
傷つけないように莚(むしろ)に乗せて引きずってきた毛皮を見てルシオさんもびっくりした顔。
「これ…葵君一人で倒したのかい?」
「ええ」
「これはすごい。それに傷も…んん?まさか一撃か?」
「はい」
「本当に君には驚かされるよ。見た目…ごほごほ!」
(見た目と違ってとか言おうとしたな)
「とにかくこれは高く買わせてもらうよ。あと牙もあるかい?」
「はい」と言って牙を出した。
「これは…リーダークラスじゃないか?なぜこんな奴がはぐれになってるんだ?」
「??」
不思議がるルシオさんからお金をもらって家に帰った。
家の前のポストをチェックするけど手紙は入っていない。
(父さんは元気かな?母さんや桜が無事ならいいけど…)
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