狼達との戦い

灰狼を狩った1週間くらい後、僕は町長さんから呼ばれた。

「おはようございます」

(あれ?何かあったのかな?)

町長さんは疲れた様子で、顔色が悪いようだけど。

「おおっ、葵君か…すまんのぉ。こんなに朝早くに呼んでしもうて」

「いえ、大丈夫ですけど町長さん、お疲れですね、何かあったんですか?」

町長は話すべきか逡巡するように僕を見る。

「ああ、実は君に頼んでいいものか今も悩んどるんじゃだが」

「大丈夫です。何でも言ってください」

日頃からよくしてくれている町長さんが困っているなら、僕にできることなら多少無理するくらいはどんとこいだ。

「いや、…そうじゃな。…実は厄介な魔物がこの町の周辺で出たかもしれないんじゃ」

「厄介?」

「そうなんじゃよ。数日前に葵君に灰狼を狩ってもらったじゃろう?町の者からは群れのリーダーじゃったのでは、と言う者がおってな」

(群れのリーダー争いなんて珍しいことではないけど)

僕の考えを読んだように町長が話を続ける。

「リーダー争いなんてよくあることじゃ。じゃが、もし、あの灰狼を群れから追い出すのであれば最低でも黒狼クラスになるはずじゃ」

黒狼は灰狼の上位クラスの魔物だ。サイズも灰狼より一回りは大きく、知恵もかなりのものと聞く。

「しかもじゃな、昨夜町の若い衆が森の入り口付近に巨大な狼を見たらしいのじゃが、それがじゃな…月の光に白く輝いておったと」

黒狼は文字通り漆黒の毛並みをもつ狼で、間違っても白くは光らない。

(巨大な白く輝く狼…って…まさか…)

灰狼の上、黒狼のさらに上位の魔物。もはや伝説に近い魔物、それは銀狼だ。

「それって…銀…」

よっぽど僕の顔に悲壮感が漂っていたのだろうか。町長さんは安心させるように微笑んだ。

「いやいや、銀狼はさすがにないじゃろう。見たと言うとる者も混乱しとったしのぉ」

それから表情を固くして続けた。

「じゃが、魔狼の群れが25、6頭ほどになっているのは間違いないようじゃ」

(25か…)

「この数になるとさすがに街のギルドか王国軍に頼むつもりなんじゃが…。ああ、いや、葵君では物足らんと言っとるわけではないぞ。君に怪我をされるとこの町が困るのじゃ」

(町長さんは僕のことを本当に心配してくれているようだけど…こんなに大きな群れが来ることなんてほとんどないし…あれから僕も強くなったんだから)

「心配していただいてありがとうございます。だけどっ…お願いします!ギルドに要請するのは少し待ってください!僕にやらせてくださいっ!」

それでも僕はお願いした。

早く刀の声を聞いて父さんを手伝いに行きたい。その思いがこの無謀とも思える狩りを僕に受けさせたのだった。

「…うーむ…よろしい。じゃが、絶対に無理しないこと、危なかったら必ず逃げて戻ってくるのじゃぞ」

「はい」

町長さんの家を出る。今日も暑くなりそうだ。

だけど季節はもう少ししたら秋になる。この時期は狼たちも冬に備えて活発に動く。だから大きな被害が出る前に倒さなければいけない。

僕は一度家に帰って準備をした。

刀と脇差を手に取ると髪を縛り直して家を出る。

森に入ってからは、普段よりも慎重に歩いた。

(まさかいきなり遭遇ってことはないよね?)

最初はおそるおそる歩いていたが、なかなか魔狼たちには出会わない。既に3時間は歩いただろう。

(いないなぁ)

もう少し奥まで進んでみることにして、一度立ち止まると昼食を食べて再び歩き出した。

(せめて狼の数くらいは把握しておきたいんだけど…)

しかしなかなか群れは見つからない。

夕方まで探したが見つからず、日が傾いたところで家に帰ることにした。ところが、町長さんの家の前に人が集まっていた。

「ちくしょうっ、出やがった、くそったれ狼にアルんとこの家畜が全部やられた!」

目が血走っている。アルさんの家といえば町外れの家だ。

(まさかそんなに町の近くにいるとはっ)

僕は慌てて町外れに向かった。

アルさんの家の周りにはかがり火が焚かれて、町の男達が小さな声で話し合っていた。

「家畜は全滅だ…それに家畜を守ろうとしたアルのやつもしばらくは起き上がれねえ。嫁と生まれたばかりの赤ん坊が無事だったのは救いだが…」

「だが、家畜もいねえ、アルも怪我でどうやって暮らす…?俺達が助けるって言ったって限界もあるぜ…」

「くそっ!あのくそったれな犬野郎が!」

軒先で友人だったらしい男たちが話しているのを聞くといたたまれなくて僕はその場を去った。

アルさんは町外れで牛や豚を飼いながら家族仲良く暮らしていた。小さな町だから僕も何度かは顔を合わせたことがある。温厚そうなアルさんの顔が思い出された。

(そうだっ、僕は自分のことばかり考えていたけど、狼を退治しないと町の人に危険が及ぶんだっ。僕はなんて浅はかだったんだっ)

いてもたってもいられなくて、家に帰らずその足で再び森に入った。

夕暮れどきの森は薄暗く、それだけで危険な場所になる。

だけど昔から僕はジェイクと一緒にこの森を遊び場にしてきたから庭みたいなものだ。

『ガサッ』

走っていると目の前に突然大きな黒い塊が飛び出した。

「くっ」

急停止してその黒い塊を見る。

(黒狼?…いや、灰狼か)

薄暗い中、狼の目が赤く光っている。

開いた口からは涎が垂れていた。

(こいつらのせいでっ)

僕は鯉口を切って柄に手をかける。少し腰を落としていつでも抜けるよう構える。

「ハッ、ハッ、ハッ」

灰狼の目が一瞬僕から逸れたような気がした。

『ザッ』

僕がほとんど無意識に後ろに跳んだ瞬間、元いた場所には大きく口を開けた別の灰狼の姿があった。

(うわっ、危なかった)

一瞬で体勢を立て直すと2頭になった灰狼に向かって走り込む。

難なく縦に並んだ二匹を切ったところで前に数匹の灰狼がいるのが見えた。

こちらに向かって走り込んでくる。

僕は一瞬逃げて体勢を立て直すか悩んだけど、数はそれほど多くはなさそうだ。

(このまま切り抜けるっ)

すれ違いざまに切っていく。

(一、二っ)

3頭めの爪が顔のすぐ横を通過する。髪が何本か宙を舞う。

(三っ)

三頭切ったところで横から殺気がしたのでスライディングするように滑り込んだ。

僕の真上を黒い塊が通り過ぎる。刀を上に突き刺すと柔らかい腹が裂けて血や内臓が降ってきた。

(これで6頭…まだいけるっ)

「はぁ、はぁ」

荒い息をついたところで再び前方に赤い目が光っていることに気がついた。

(休ませてはくれないってことか…)

刀を振って血を飛ばすと、前をじっと見つめる。

陽が落ちて月もうっそうと茂った木々の葉で見えない。

闇の中で近づく赤い目。

(あれ?遅い…?)

嫌な予感がして僕は周りを警戒する。

『ガサッ』

激しい音が頭のすぐ後ろから聞こえた。

一瞬早く前に飛び出した僕は地面を転がり、灰狼の奇襲を躱して、そのまま素早く立ち上がると、頭を噛み砕きにきた一頭を袈裟斬りに切り落とす。

そして先ほどの赤い目を見ようと振り返ろうとしたところで、僕は激しい衝撃に吹っ飛ばされた。

「ぐあっ」

そのまま獣道に転がるようにしてようやく止まった。

(ううっ…油断した…まさかこんなに速いとは…こいつは…灰狼じゃないっ)

身体はまだ動く。

なんとか立ち上がろうとした時に鋭い殺気が放たれて慌てて後ろに跳ぶ。

(しまったっ)

ダメージのある僕では黒狼よりも動きが遅い。

案の定、すぐ目の前に黒狼の赤い口が迫っていた。

『ガチッ』

刀を前に出して押さえようとするが、刀身を鋭い歯で挟まれる。

(いけないっ)

刀を戻そうとするけど全く動かない。

通常なら口の中を切り裂く刀身が何頭も切ってきたせいで、切れなくなってしまったのだ。

「くっ」

狼の爪が迫る。

しかしその爪が僕に突き刺さることはなかった。

(ふぅ…もしものために持ってきておいて良かった…)

僕の左手に握った脇差が狼のあご下から脳天を突き破っていた。

それでもしばらくの間ガタガタと動いていた狼だったが、やがて力尽きた。

だけど、今の攻防で僕の頭は冷や水を浴びせられたように一気に冷静さを取り戻した。

(これ以上は戦えない…街に戻ろう)

しかし振り向いた僕に無数の赤い視線が突き刺さる。

(くっ、すでに囲まれていたのか…)

僕は焦りと恐怖を抑えて森を出るルートを考えると、まっすぐ最短のルートを走り始めた。

◇◇◇◇◇

「はぁはぁ、はぁはぁ」

僕は後ろから聞こえる獣の足音に追われながら木々の間を抜ける。

大きな岩が見えた。この岩の広場を抜ければ森を抜けられる。

(なんとか逃げきれた…)

だけど、その時、僕の気持ちを嘲笑うかのように岩の上から一頭の狼が地面に飛び降りた。

(大きいっ、なんだこいつ?)

僕の体の何10倍もある狼。頭だけで僕よりも大きい。月光に照らされた狼の毛並みは白く銀色に輝いている。その目も赤ではなく銀色に輝いていた。

(まさか…こいつは……銀狼…?)

こちらは切れない刀と脇差が一本。勝てるわけがない。

『グオオオオオ』

銀狼が大きく唸りを上げる。

(うわぁぁ)

その唸り声だけで、僕の膝は震えた。

(勝てない…僕はここで死ぬのか……いや、嫌だっ!)

生きたいという意思が思い出させたのだろうか。その時不意にジェイクと遊んでいた隠れ家が頭をよぎった。

(…まだだっ、ここで僕は死ぬわけにはいかないっ)

持っていた脇差を銀狼に向かって投げつけると同時に走り出した。

(間に合うかっ?)

脇差に気を取られて一瞬だけ銀狼の意識が逸れた。

目指すのは銀狼が最初に立っていた岩の下、そこには裂け目があってギリギリ人が一人入れるのを僕は知っていた。

銀狼も次の瞬間には僕を狙って跳ぶ。

『ガッ』

岩に銀狼の爪がぶつかった。

間一髪、僕の体が岩の割れ目に先に入ることができた。

銀狼が岩の周りを歩き回り、裂け目に顔を入れようとするが、銀狼の体が大きすぎて顔を入れることができないでいた。目の前の銀狼と目が合う。しばらく睨み合った後、銀狼は興味を失ったように岩から離れた。

そして、銀狼の走り去る音がした。

(助かった…のか…)

疲れと怪我と安堵に僕の意識が闇に消えていった。