「ここ…かな?」
ちょっと煤けた白いレンガ造りの建物の前に僕は立っていた。
(何階かまでは分からなかったけど…よし、入ってみよう!!)
マーガレットさんやアイスクリーム屋さんの様子から考えるにニックはあまり好かれていないようだ。
(だけど、だからと言って怪我をする原因を作ったのは僕だし、直接お礼を言った方が良いよね)
大きな入り口のドアを開けると、中央に螺旋階段があって、周囲に部屋のドアが並んでいる。
集合住宅は宿屋以外では見たこともなくて、珍しさもあってキョロキョロしつつ、ドアの前のネームプレートを見ていく。
(んー…この階じゃないのか)
螺旋階段を上って二階でもドアを見てまわったけどそれらしい名前はなくて、僕は最上階に向かう。
「あった…」
最上階の三階にニックの部屋があった。
(えっと、昨日のことを謝って帰れば良いよね)
助けてもらったとは言え、その前にニックにされたことを考えるとあまり長居すべきではない。
(うん、でもまあ僕も昨日と違って村正のアレもないし、大丈夫でしょ)
今日はほんの少し体が暖まっているくらい。
(うん、村正の力を使うのに体が慣れてきたってことかな?「そういえば今日は村正静かだよね。もしかして昨日のあれでまだ怒ってるの?」)
(「ふんっ!!主殿にも冷めた料理を食べさせられる気持ちは分かるであろ?しかも、目の前にはピチピチの新鮮なご馳走が食べてくださいと列をなしていたというに…」)
(「食べてくださいって…食べられるのは僕じゃん…」)
(「むむむ、上手いこと言うのぉ…」)
(「そうかな?えへへへ(村正って意外にチョロい?)」「ふふふふ」)
(「………………はっ!!危うく主殿に言いくるめられるとこじゃったわ!!妾は怒っておるのじゃ!!とにかく美味しい精を食べさせてもらえるまで寝ておるゆえ!!」)
そのまま村正はふて寝してしまった(?)みたいで話しかけても応えてくれなくなった。
さて、ここまで来た以上このまま帰るという選択肢はないし、躊躇している暇も実はなかったりする。お土産に買ったアイスクリームがもう結構溶け始めているのだ。
(早く食べないと!!)
コンコンとノックすると、中から開いてるよ!!と声がした。
「お邪魔しまーす」
部屋の中はカーテンが引かれており、薄暗い。開いたドアから差し込む光の筋に埃がキラキラと光っている。
「えっと、ニック…さん?」
部屋の奥の方から声がしたものの、小さなキッチンが邪魔をして姿は見えない。
「どちらさん?ちょっと今怪我してるからベッドんとこまで来てくれると助かるんだけど」
僕は薄暗い床に転がる酒のビンや脱ぎ捨てられた服を踏まないようにリビング兼ダイニングへと進む。白い漆喰の壁沿いに2人がけのソファがあるんだけど、その上にも脱いだ服が引っ掛かっていた。
「あのぉ…」
「ああはいはい、こっちだよ」
声がする方を見ると、開けっぱなしのドアから見えるベッドのシーツが人の形に膨らんでいるのが分かる。
「えっと、お邪魔します」
僕がベッドの横まで行って初めてニックは客が僕であることを認識したらしい。
「えっ!!ええっ!!もしかしてアオイちゃん!?っ!!」
ニックは目を丸くして起き上がろうとして、お腹を押さえた。
「痛ってぇ!!」
「あっ、動かなくて良いですから!!あの…その、昨日はありがとうございました」
頭を下げると、お腹を押さえたままニックが決まり悪そうに笑う。
「こっちこそゴメン。…そっか、お見舞いに来てくれたんだよね。気を遣わせちゃったな」
「そんな…おかげで助かりました」
はにかんでいる姿は好青年そのもの。
マーガレットさんやアイスクリーム屋のお兄さんの態度はちょっと行き過ぎな感じもする。
(確かに、その前に路地裏に連れ込まれたけど、そんなに悪い人じゃないのかも…)
「あー!!カッコいいこと言っておいて、こんな姿を見せちゃうなんて、俺、メチャクチャダサいよな!!」
頭を抱えようとして「いってぇっ!!」とまたお腹を押さえる。
「ふふっ!!」「はははははっ!!」
ひとしきり笑うと、ニックが僕の持っているアイスクリームに気がついた。
「あっ、もしかしてそれ、お土産?」
「忘れてました!!早く食べないと溶けちゃいます!!えっと…」
ニックは怪我でベッドから動けなさそうだけど、僕がどうしようか迷っていると、ここで良いよ、とニックがベッドを空けてくれた。
一瞬、昨日のことを思い出したけど、ニックは怪我人だからあんなことは出来ないだろうし、そう思って、ベッドに腰かけることにする。
「へー、これって新作じゃない?」
「そうなんですか?薦められたんで買ってみたんですけど」
よく見ると、腕を上げるのも痛そうにしていて、スプーンを持ち上げるのも大変そうだった。
「あの、お手伝いしましょうか?」
「えっ…!?」
「あの、食べにくそうだし…」
ニックが心底驚いたような顔をするので僕の方が恥ずかしくなって、急いでスプーンでアイスクリームを掬った。
「口を開けてください!!あーん」
「あっ、あーん」
開いた口にスプーンを突っ込む。
「んっ!!んまいな!!」
あまりにおいしそうな顔で食べるのを見て、僕も食べてみた。
「ほんとだ!!えっ!?これ、おいしい!!」
これまで食べたことのない不思議な味。ふわっとしたいい香りにレーズンが入っている。
もう一口食べようとして掬ったところで、ニックが見ていることに気がついた。
(そうだった、僕が食べるために買ったんじゃなかった…)
「くっ、ふふ」
ニックが吹き出しそうになってお腹を押さえる。
「ど、どうしたんですか?」
「だってさ、アオイちゃん、めっちゃ食べたそうにしてるから」
「そ、そんなことないですよ!!僕が食いしん坊みたいじゃないですかぁ!!」
「あれ?違うの?」
「うーーーー!!」
◇◇◇
アイスクリームを食べたあと、僕は散乱した服や酒ビンなどを片付けることにした。
「いいって、そんなことアオイちゃんにさせられないよ」
ニックはそう言うけど、僕が原因で怪我をしたのだから、何かしないと申し訳ない。
「片付けるだけですから。すぐですよ。ニックさんは寝ていてください」
まずは歩くのに邪魔な床の上のごみの片付けから。
「これって、どこに捨てたらいいんですか?」
ニックからとりあえずまとめておいてくれたらいい、と聞いて入った時から気になっていた酒ビンを玄関から順に拾っていくとすぐに両手に一杯になった。
(ん~、この辺でいいかなぁ?)
よいしょ、と下ろすと倒れてコロコロと転がる。追いかけると、ソファの下に入ってしまった。
「あっ、もう…」
四つん這いになるとソファの下に手を伸ばした。
(「主殿!!主殿!!」)
(「村正、急にどうしたの?」)
(「ほれほれ!!そこの鏡を見るのじゃ!!」)
「ぇっ?」
鏡を見るとベッドからかぶりつくように見ているニックの姿が見えた。
(「何を見てるんだろ?」)
(「一つしかないであろ?」)
ニックの視線が向かっている先は…。
(ええっ!?ぼ、僕!?)
(「なんじゃ、わざとやっておったわけではなかったか。うむ、主殿のことゆえもちろん分かっておったがの。とはいえ、あの男を非難することはできぬなぁ。同じベッドの上で寄り添って、今度は四つん這いで尻を突きだして。あの男からはギリギリ主殿の下着も見えておるやもしれぬぞえ」)
「ふぁ!?」
(そういえば、今履いてるのって…!!)
マーガレットさんに着させられた紐みたいな下着。
(全部見られちゃってる…!?)
急に立ち上がった僕に驚いたのか、ニックが鏡の中でビクッと跳ねる。
「あっ!あの、ニックさん!!僕、今日は帰ります!!」
ニックが何か言ってた気もするけど、よく聞きもせずに大急ぎで玄関を飛び出した。
「ふー、危なかったなあ」
螺旋階段の途中で立ち止まってため息をひとつ。
(「なんじゃ、主殿。新鮮な精をくれるつもりになっておったんじゃなかったのかの?」)
(「なっ、何言ってるんだよ!?僕は怪我させてしまったからお見舞いに来ただけで!!そんなつもりじゃないから!!」)
ニックの目は完全に雄の目になっていた。
(もしニックが怪我してなかったら…)
自分の無防備さに呆れてしまう。
(「ふーむ。なるほどの。それにしても主殿は優しいの。妾はあんなものまでやる必要はなかったと思うたが」)
と、村正がまた変なことを言い出した。
(「?」)
(「ん?じゃから、主殿の下着のことよ」)
(「下着?」)
下着って今履いてるけど。
(「ほれ、来る時に持っておったろ?紙袋に主殿が脱いだ下着が入っておったではないか」)
そう言われて、頭に紙袋が思い浮かんだ。
「ああっっ!!そうだっ!!」
(「うわあっ、しまった!!なんで村正教えてくれないんだよ!!」)
マーガレットさんから買った紐のやつだけなら置いて帰ってもいいんだけど、あの紙袋には僕が家を出るときに履いていた下着類も入っている。
(と、取りに行かないと!!)
さっき慌てふためいて出ていったのに、早速戻るなんてばつが悪いけど、さすがに置いて帰るわけにはいかない。
(「む…主殿、ちょっとだけ妾の力を使った方が良いかもしれんの」)
(「またそう言って反動で僕がおかしくしようとする!!」)
(「いやいや、ほんの少し、耳に力を入れるだけでいいのじゃ。ま、主殿が使わんと言うならそれもそれで面白いことになりそうじゃが…」)
そう言われると心配になる。
(「わかったよ、すぐやめるからね」)
耳に力を込めると、部屋の中から声が聞こえてきた。
「アオイちゃんっ!!アオイちゃん!!アオイ!!」
(「何!?村正っ、これどういうこと!?」)
(「うむうむ、やはりの。ほれ、声以外に聞こえてくる音があるじゃろ?」)
シュコシュコと聞こえる音はどこかで聞いたことが…。
「ぁっ!!」
(ケルネの町でジェイクが確か…)
女の子になってすぐの頃、ジェイクが村正の力で発情して自分で慰めていたのを思い出して顔が赤くなった。
「すぅぅぅ!!アオイの匂い!!すげえ興奮する!!」
(…って、まさかっ!!僕の下着で!?)
「うっ!!痛っ~!!くっそ、手が痛くてマスもかけねえとか!!」
(「さて、どうするぞえ?部屋に入らぬと主殿の下着は取り返せぬが…」)
(「き、今日は帰るよ…」)
村正が(「今日〝は〟のお?」)と思わせ振りな口ぶりでからかってきたけど、僕はこんな状態の部屋に入る勇気はなく、そのまま帰ったのだった。◇◇◇
悶々とした気持ちでベッドに横たわるニック。
(ん~!!一応忘れ物してんのに気づいて帰ってくるかと思ったけど、そう上手くいかないな。迫真の演技だったんだけどね)
そして、アオイの今日の様子を思い出す。
(それにしてもエロいパンティだったなぁ…あんなの見せられたらHの続きをしたいのかと勘違いしてもおかしくないよな~)
それから俺は首をかしげる。襲われた相手とあんなに無防備に打ち解けるだろうか。
(あのアイス、少しブランデーの香りがしたけど…、まさかあれで酔っぱらった…とか?)
そんなはず…と思ったが、考えてみればアイスを食べてからは距離が近くなったというか警戒感が薄れた気がする。
ベッドに座ったアオイが少し舌を出してアイスを食べる姿を思い出すと、口許が弛んだ。
(酒でも飲ませれば簡単にヤれそうだけど…あとはどうやって飲ませるか…まだ怪我も治っていないから無理をして逃げられても困るしな~)
コメントを残す