王城ガイア。
王都の北数キロの距離にアヴニール、王都の東には南北に延びる森と湖、それに離宮がある。そして南に向かうと王城がある。
王城はディルム山脈から流れ出たノウェム河の九つの支流の合流地点に建っている。川が天然の堀となり、かつては難攻不落の城と呼ばれていた。
だが、平和な昨今、王城には最低限の人員だけを残しているだけだ。
それぞれの支流に跳ね上げ式の橋がかけられているが、それが実際使われたことはこの数十年の間一度もなく、年に一度の稼働試験はお祭りと化している始末だ。
だが、アヴニールが魔物の大群に襲われ、その後一年と経たずして王都が魔族の襲来に遭った。多かれ少なかれ貴族達の間に不安の声が囁かれていた。
さらに五大公による中央政治の制度の見直しの発表の機会も出来るだけ早急に必要である。
そこで、王とその周辺は大規模な御前集会を王城ガイアで行う事を決めた。
全貴族への通達はアトラス襲撃の二日後、そして祝宴の開催はなんと二週間後となった。
貴族達は慌ててガイアに集結すべく移動を開始し、王城は掃除や準備に、アトランティス王国全体が慌ただしい一週間となった。
◇◇◇
そんなことになっているとはつゆ知らず、僕らはシュクランでの食事の翌日に新たな依頼でアヴニールを訪れていた。
「ついこないだまでここにいたのになあ」
初めて来たときには威圧感ばかり感じた学院の建物が懐かしく感じる。
「葵様、ラルフ様、ジル様、先日は本当にお世話になりました」
学院の正面玄関を開くとモニカさんと出くわした。ちなみにエルザは正式に学院長となり、モニカさんはその専属秘書となっている。
そのせいか、モニカさんは以前エヴァが着ていたようなきっちりしたスーツに髪をアップにしている。違いは腰につけた剣だけ。エルザの護衛も兼ねているのだろう。
「そろそろ来られると思っておりました。エルザ様から三人が来られたらまずは住んでいただくところに案内するように言われております。どうぞこちらへ」
モニカさんは僕らを寮の向かいに建つ塔に案内してくれた。ここは元々は学院長の住んでいた建物。
そう、僕らは王国からの依頼により、アヴニールのガビーノ元学院長の家に住むことになったのだ。
王国側としては僕らがアヴニールにいる事が生徒やエルザの安全のために良いと考えたのだろう。確かに、アスモデウスの件からまだ一月も経っていないのだ。
依頼の期間は半年、さらに、僕ら三人の中で最低一人いればいいという破格の条件だ。
僕にとってもせっかく出来た友達もいるから断るような話ではない。ジルも宿に泊まっていては研究が進まない。その上、様々な施設を持つアヴニールは研究するにあたって便利なんだそうだ。ラルフはラルフで早速アヴニールにある王国でも随一の図書館をチェックしていた。
ガビーノの家は、寮の向かいにあり、学院の建物とは別棟で五階建ての塔のような建物だ。学院長の家というだけの事はあり、一階に風呂やトイレ、二階にリビングとダイニング、三階から上が私室になっている。全ての階にシャワーとトイレが設置されたなんとも豪華な造りだ。
また、僕らが部屋に入ってみると、既にそれぞれの階にベッドや机など最低限必要なものは準備されていた。
「一時間ほどしましたら学院長室に来てください。また、他に個別で必要なものはメモに書いてその時にいただければ準備致します」
そう言ってモニカさんが出ていった。
僕は自室のベッドに腰を下ろして村正に呼び掛ける。
(「村正、村正っ」)
だけど、やはり反応はない。毎日村正に話しかけるのが僕の日課となっていた。
(やっぱりダメか…)
何が原因なのかはジルにも特定できないまま未だに村正は沈黙を続けている。
(…村正、どうしちゃったんだろ?)
僕は不安を感じつつも、悩んでいても仕方ない、と立ち上がり、ラルフとジルのフロアに向かった。ラルフが三階、僕が四階、ジルが五階となった。
各階は構造が違っていて、三階四階は大きな部屋が一つだけ。これは元々ガビーノが三階をベッドルームに、四階をプライベートルームに使っていたからだそうだ。
ジルが五階を選んだのは五階だけがフロアを二つに分けているから。元々は書庫や倉庫として使われていたのだが、ジルは小さい部屋を私室に、大きな部屋を研究室にするつもりらしい。
そのため、僕とラルフには必要なものは特にないんだけど、ジルは何やら書類にたくさん書き込んでいた。
「ジールー、そろそろ行くよ」
ラルフと二人、玄関で待っているとジルが数枚の紙を片手に現れた。
『コンコン、カチャ』
学院長室に入るとエルザが何やら書類にサインしている。
「あっ、葵、ごめんなさい。少し待ってね」
ソファに座って待っていると、ほどなくエルザの書き上げた書類をモニカさんが持って出ていった。
「葵、なんだか久しぶりね」
エルザが僕らの向かいに座った。
「うん。でもエルザはなんだか忙しそうだね」
「そうなのよっ、ちょっと聞いてよ」
エルザはいかに忙しいかを話してようやく落ち着いた。
「葵はしばらくのんびりしてくれたら良いのよ」
◇◇◇
今日も僕は城の剣指南役の加茂泰晴に稽古をつけてもらっていた。十歳になってからは本格的に剣の修業が始まって、それも一年が経とうとしていた。
「はあっ」
打ち込んだ僕は簡単にいなされて倒れる。
「ぐぅっ」
もう何十回、何百回と繰り返されている。
「千手丸様、あなたの瞳は飾りですか?」
まだ若く美貌の剣指南役は転んだ僕に冷たく言い放つ。
「あなたの感覚は私などよりずっと優れている。今の私の動きは見えていたはずです。さあ、立ちなさい」
僕は涙を袖で拭って立ち上がった。
「あなたの目はただ見ているだけ。視るのです、私の一挙一投足を。私の瞳の動きを、つま先の向き、筋肉の張りつめる瞬間を」
これは初めての稽古の時から言われている。
「あなたなら、いずれは相手が動き出す前に斬る、先の先まで達する剣士になれるはずです。しかし、まずは対の先からです。相手が攻撃に入る瞬間、そこを見極めなさい。そして相手が攻撃に移行するまでの間に斬るのです」
◇◇◇
「葵…、葵…」
誰かが僕を呼んでいる。
(葵…?)
そうだ、僕は御門葵。
「ん…」
目を開くとサラの顔があった。
「おかえりっ」
「ん…サラ…?」
僕はベッドから起き上がる。
「あれ?今日は学園は?」
「もうっ、休みでしょ?それより今日は葵に会いたがっている人を連れてきました」
どうぞおー、とサラが扉に向けて腕を広げる。
『ガチャ』
「アオイさん?」
現れたのは以前僕の髪を結ってくれていたドナだった。
「ドナっ」
僕が名前を呼ぶとドナの顔が綻んだ。
「アオイさん、お久しぶりです」
ドナはまた髪を触らせて欲しいと言いに来たのだった。
「やっぱりアオイさんの髪が一番なんですっ。私のインスピレーションを刺激するんですっ」
今日はこれから剣の訓練をする、というと、動きやすいようにとポニーテールにしてくくった髪をアップに纏めてくれた。
それが終わるとサラもジョシュと勉強すると言って出ていく。
「もう私も貴族の娘じゃないし、実力で成り上がらないとねっ。ジョシュも未来の旦那として頑張ってもらわないとっ」
「また明日も来ますねー」
二人が出ていって、僕もアヴニールの体操着に着替えて朝食を摂りに階下に降りる。
「おはよう…って、あれ?誰もいない…?」
テーブルには朝食のパンと二人がそれぞれ図書館なり研究室なりに行く旨が書き置きされていた。
(仕方ない、僕もやるかっ)
パンをくわえて僕も外へ出た。
向かうのは闘技場。アヴニールには文官希望の者もいれば、魔術師希望の者、さらに騎士見習いもいる。
騎士見習いは剣技もここで学ぶために闘技場があるのだ。
チラッと来たことくらいはあったけど、入ってみると数十人が入れるくらい広い。何人かが剣を振っている。
(さて…)
一応ケイトさんに手紙を送ってロゴスの屋敷から昔使っていた数打ちの刀を送ってもらってるんだけど、まだ届いてはいないので僕は木刀を持っている。
まずはストレッチを入念にしてから、ウォーミングアップがてら軽く木刀を振る。
『ヒュッヒュッ、ヒュンッ』
次に型を確認する。これは父さんに教わって体に染み付いた型だ。
村正抜きの自分の体の確認も同時に行う。
(力は…変わらないみたいだし大丈夫そうだな)
額にかいた汗をタオルで拭うと、次はイメージトレーニングだ。
目を閉じてバアルを思い浮かべた。しばらくすると黒騎士の姿がはっきりと目に浮かぶ。僕の持つ木刀もイメージの中で村正になる。
この訓練方法はラルフに教えてもらったもので、達人になるとイメージの中で攻撃された傷が現実に体に現れることすらあるらしい。
目を開いてバアルに向かって正眼に構えた。
(う…隙がない…)
実際に闘った際もそうだったけど、本当に強い。身動きできず、こめかみを汗が伝う。
と、無造作にバアルがマイムールを振った。
(速いっ)
受けきれないため躱すしかない。
(下がれば追撃がくる)
咄嗟に前に転がり、懐に入る。だけど、下段から斬り上げようとした刀の届く範囲に既にバアルはいない。
(しまっ…)
袈裟斬りに斬られイメージが消えた。
「はぁ…はぁ…」
想像以上に体が疲れていた。斬られた瞬間は本当に体が無くなったかと思ったほど。だけど、これくらいでなければ意味がない。
(とは言えこんなの何度も出来ないよ)
命のやり取りをするこの訓練方法はやってみて分かったけど消耗が激しい。
僕は休憩をかねて考えた。
無造作に見えた一刀目、村正がいれば五感の強化でもっと素早く反応が出来たはず。
実際、これまでの戦いで勝てたのは相手の動きを見て対の先をとることが出来たのが大きかった。
(だけどそれじゃ、村正に頼りっぱなしだ)
村正の力なしでどこまで出来るのか…。
(相手の攻撃を見てから動き出す後の先をとれるようにならないと…)
今度は相手の攻撃を受け流して攻撃に転じる。そのため僕は下段に構えて少し切っ先を後ろに下げた。
そして、再びイメージする。黒騎士が再び目の前に現れた。
だけど、今度はなかなかお互いに動かない。
「ふっ」
僕は敢えて誘うために一歩踏み出した。その瞬間、上段からマイムールが振り下ろされる。
(来たっ)
斬り上げるようにして刀身を斜めに当てて力を逃がす。マイムールが村正の上を滑り、村正から外れた瞬間を狙ってそのままの力で斬り上げた。
(よしっ)
だが、その一撃はバアルが体を反らすことで躱される。
(くっ、だけど…)
刀を返して今度は袈裟斬りだ。
『ズブゥッ』
「ぐっ」
まさに村正が届く寸前、呻き声をあげたのは僕の方だった。
村正より先にマイムールが僕のお腹に突き刺さっている。
「かはっ」
その場に膝をついた僕の周りにいつの間にか騎士見習いの学生が集まって見学していた。
「はぁ、はぁ…」
(あれ…いつの間に…?)
僕はバアルとの戦いに集中していて見られていることに全く気づかなかった。
「葵様っ」
ざわつく中からブリジットさんが駆け寄ってくる。
(葵…様?)
「大丈夫ですか?」
心配そうなブリジットさんに見つめられながら僕はお腹を押さえて立ち上がる。
「うっ、うん…ブリジットさん、ありがとう」
そう言うとブリジットさんの頬が赤く染まった。
「そんな…私の事はブリジットと呼んでくださいまし」
「?」
何だか変だなあ、と思いつつも「続けられるのですか?」と聞かれて、自分の汗が酷いことに気がついた。
「今日はこの辺にしとこっかな」
「それではお茶などいかがですか?」
僕はシャワーを浴びてブリジットさんとカフェに入った。
なんだかブリジットさんは落ち着かない様子でチラチラと僕を見る。
「どうしたの?」
「あっ、いえっ…そっ、そのっ、今日はお一人なんですね?」
敬語がくすぐったい。
「うん、ラルフもジルもなんだか自分達の用事があるみたいだね。ねぇ、そんな畏まらなくても…」
「いいえっ、葵様は命の恩人なんですからっ。私はこの身も心も葵様に捧げたいと…」
ブリジットさんは自分の言葉に気がついて真っ赤になった。
「あの…ごめんなさいっ」
『ガタッ』と立ち上がる。
「……でも今のは本心ですから…」
そう言って走り去ってしまった。残された僕は茫然とブリジットさんの消えた先を見つめていた。
「あらあら~」
後ろから声がかけられて振りかえる。
「サラっ、それにジョシュも」
「ブリジットの様子が最近おかしいと思ってたのよね。これは~、女同士の禁断の愛ね。ひひひ」
「サラ、やめとけよ」
ジョシュは少し大人びたように見える。やはりあんな経験をしたせいかもしれない。
「でもさ、ジョシュも想像してみ?ブリジットと葵が一糸まとわぬ姿でさ…」
「なっ、何言ってんだよっ」
ジョシュが周囲を見渡した。
「二人の汗ばんだ白い肌がベッドで絡み合うの…お互いの太腿を挟んで腰がまるで別の生き物みたいに動くのよ」
サラは周りを気にもせずに続ける。
「ほら、上半身は二人の大きな胸が密着しておっぱいが潰れて…その先の固く尖ったピンクの乳首が擦れあって…」
まるで目の前にあるものを説明するかのようにサラが詳細に語り始めた。
『ゴクリ』
ジョシュの喉が鳴る。なんだかその目がチラチラと僕の胸を見ている。
「『ゴクリ』じゃないわよっ、ジョシュのスケベっ」
「いや…だってさ、サラが想像しろって…」
前言撤回、やっぱり二人は変わっていなかった。
「行こう、サラ。テスト勉強が残ってるんだしさ」
「分かったわよ。もう…。それじゃ、ブリジットの恋は実らないと思うけど、もし進展があったら教えてねー」
(…僕も帰ろ)
数日間はこうして修行の日々が続いた。
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