王宮近く、貴族の屋敷のあるエリアの角地にシュクランはある。
元はとある貴族の屋敷だったが、道楽者だったその貴族は屋敷自体をレストランに改装した。
その後、貴族が落ちぶれた際に、売りに出されたこの屋敷を買い取ったのは、とある紳士で、現在はそれをシュクランのオーナーに貸している。
シュクランは金持ちの商人や貴族はもちろん、王族まで利用する客層故に、魔術具による警備を常時行い、さらに警備の人間が交代で門の中の詰所に常駐している。
これは葵達が到着する一時間前。
「おい、新入りっ。そろそろ客のくる時間だぜ。門の前に移動だ」
アレックスは昨日入ったばかりの新人に声をかけた。
時計を見る『新入り』。
「ああ…ここじゃあ予約の一時間前には行動なんだよ。いつ客が来るかわかんねえだろ?」
アレックスの言葉遣いは荒っぽいが流石は王都一のレストランの警備の主任。仕事への姿勢は実直で、店からも信頼も篤い。
頷いて『新入り』は男に続いて詰所を出た。
(返事くらいしろよ。全く、オーナーもいくら人手が足りないからってこんなヤツを雇うなよ…苦労するのは俺なんだぜ)
人手が足りないのには理由があった。つい先日の大規模な魔族の襲来の影響はシュクランにも及んでいたのだ。
街を跋扈(ばっこ)した低級の魔族。男の働きでシュクランには一匹たりとも入れなかったとは言え、部下達は大なり小なり怪我をして休養をとらざるを得なくなっていた。
(あいつらの怪我が治るまでのつなぎだと思うしかないか…)
怪我をした数人の部下の顔を思い浮かべてため息をつく。
その時、後ろをついてくる『新入り』の片目が、周囲を確認するようにくるくる回っていることにアレックスは気づいていなかった。
しばらくして。
『カツ、カツ』と、靴音をさせて、アレックスの前に一人の金髪の男が現れた。
男の整った顔立ちや服装から、不審者などと考える必要は一切ない。
(間違いなく貴族だろう。馬車に乗らずに来るのは珍しいが…)
「いらっしゃいませ」
出来るだけ上品に見えるよう頭を下げた。
「ああ、まだ連れは来ていないようだね?」
顔を上げて近くで男の顔を見たアレックスは衝撃を受けた。
(何者だ?)
毎日のように貴族や金持ちを見てきたが、金髪の男の容姿を見ればこれまで見てきた貴族など、とるに足らないレベルだった。
(どこかの国の王族だろうか?)
だが、今日は先日の混乱もあり、予約は一件だけのはずだ。予約された名前を思い出して考える。やはり、貴族やましてや王族などとは聞いていない。
(お忍びの可能性もある…が)
アレックスはとりあえずこの金髪の客を先に通すべきか悩んだ。
「ああ…いや、連れをここで待つから気にしないでくれるかな」
アレックスは何か言う前に制されて門の前に下がる。
(気にするなって言われてもな)
『ガタガタガタ』
遠くから馬車の近づく音が聞こえてきた時にはアレックスは緊張でいい加減疲れ始めていた。
「どうやら連れのようだな」
金髪の男の横に馬車が止まる。貴族なら馬車には家紋が描かれるものだが、普通の高級な馬車のようだった。
(やはり貴族ではないのか?)
アレックスが考えている間に御者が客が降りるための台を置いて扉を開くと、中から赤いハイヒールの足が覗いた。
「ジルっ、…ありがとう」
ジルと呼ばれた金髪の男の手をとって降りた少女を見た瞬間、アレックスは息をするのも忘れて見入ってしまった。
黒曜石のような美しい髪をアップにして、同じく黒のワンピースにショールを羽織っている。
呆然と固まるアレックスの前で少女が微笑むと、周囲の空気まで華やいだ気がした。
「間に合ったかな?」
「ああ、大丈夫だ」
少女の着ているワンピースは胸から上は刺繍になっていて白い肌が輝いて見えた。
「この服でいい?」
少女はショールを手で持ってジルの前でくるっと回った。
スカートが翻って太腿が見える。さらに、後ろ姿を見てアレックスは思わず息を飲んだ。
ワンピースの背中は腰まで刺繍になっていたのだ。
「ちょっと恥ずかしいからこれを着てるんだよ」
少女はアレックスに見られていることには気づかないようにショールを再び羽織った。
少女の後からさらに銀髪の青年が降りる。こちらはキリッとしたジルとはタイプは違うが、やはり顔の整った男だった。
(こいつら一体何なんだ?)
◇◇
『ガタガタ…ガタ』
石畳を走っていた馬車の速度が落ちて、止まった。
『カチャ』
馬車の扉が御者に開けられて、ジルが見えた。
ジルの手をとって降りる。不安だった時間も服も間に合って、門の方を見た僕は思わず声をあげた。
「おおぅっ」
大きな門があってその先に貴族の館かと疑うような建物が建っている。
(ここって…レストラン…だよね?)
「ジルっ」
ラルフが何か言いたそうに詰め寄るのを手で制してジルは微笑む。
(すごい…どんな料理なんだろ?)
「ラルフ君、そんな怖い顔をしない。話は食事の後にしよう。何せお姫様は待ちきれないようだから」
(これまで見たことないようなのが出るのかな?うわあ…どうしよう…)
ラルフとジルの視線が僕に注がれた。
「はあ…、葵、顔が緩んでるぞ」
呆れたラルフが僕の前で肘を上げる。
「ジル、後で説明してもらうからな。葵、行くぞ」
僕はラルフに腕を絡ませてドキドキしながら入り口に向かう。黒いスーツを着た警備の人は既にジルが話してくれていたのか、門を開けて待っていてくれた。
さらに門から玄関までの石畳の道を歩いていくとちょうどいいタイミングで玄関扉が開く。
「いらっしゃいませ」
銀髪をオールバックにして、口ひげを生やした見るからに執事っぽい人が淀みなく挨拶をして、中へ案内してくれる。
「ようこそおいで下さいました。御門様でいらっしゃいますね。今宵は当店に御越しいただきありがとうございます」
「ふああ」
割りとお金持ちの家や王宮も見てきたつもりだったけど、目を丸くしてしまった。
(ここってレストラン…だよね?)
吹き抜けの玄関エントランスの天井には巨大なシャンデリアが掛かっていて、大理石の床を照らしている。
「お召しものをお預かりさせていただきましょうか?」
「は?…あっ、はい。お願いします」
ショールを肩から脱ぐとメイド服を着た女の人がスッと現れ、持って行ってしまった。ラルフやジルも上に羽織っていたコートをメイドさんに渡していた。
「さっ、こちらでございます」
赤い絨毯が敷かれた上を歩いて、螺旋状にのびた階段に向かった。
『カチャ』
「こちらの部屋でございます」
ゆとりのある部屋に優雅な家具や装飾が施されていた。照明はやはりシャンデリアが輝いている。
丸テーブルが一脚、椅子が三脚並べられている。
さらに、奥には暖炉を囲むように長いソファとローテーブル。壁際のガラス張りのチェストには様々なお酒とグラスが入っているようだ。
「どうぞ」
執事さんが、椅子を引いてくれて座った。
「それでは料理の前にこちらを…」
三人が腰かけると恭しく一礼する。その後ろから三人のメイドさんが現れて、それぞれの前にシャンパンが置かれた。
メイドさんたちが部屋を出ていく。
「はあああ」
僕は一気に息を吐いた。
「緊張したぁ」
「うむ、よい店だな」
ジルはシャンパングラスを手にもった。
「葵、ラルフ君、今度の闘いは激しいものだったな。無事で何よりだ。まずは乾杯しよう」
僕とラルフもシャンパングラスを少し上げる。
「「「乾杯」」」
二人がぐいっと飲むのを見て、僕も口をつけてみた。
「わっ…おいしい」
思わずシャンパングラスを見つめる。
ラルフが頷く。
「これは西方の海に面した国、グラナーダ公国のものだな。乾いた大地には風味の凝縮された葡萄がなると言われている」
「ふぅん」
(でも、お酒は飲んだこともないから、もうやめとこう)
一口だけで惜しい気もしたけど、僕はこれから美味しいご飯が来ると思ってそれ以上は飲まないことにした。
『コンコンコン…カチャ』
部屋がノックされて執事さんがメイドさんを連れてやって来た。
「失礼いたします。まずは前菜でございます。こちらの野菜は全てこの王都の近辺で栽培されたものでございます」
意外にと言ったら失礼だけど、普段僕らが食べているのと変わらない野菜が綺麗に盛りつけられていた。
僕はナイフとフォークの使い方はテレサさんにしっかり教えてもらっていたので分かる。主に給仕する側からだけど。
(ジルも大丈夫だけど…そうだっ、ラルフは?)
そう思ってラルフを見ると…。
(あれ?)
「ラルフも知ってたの?」
「ああ、本で読んだ」
(そうだった。ラルフって意外に勉強家なんだよね)
さて、どんなものなのか一口食べてみて驚いた。
「うわっ、美味しいっ」
思わず皿を見直す。野菜にソースが掛かっていて、その上に黒い粉が振りかけられていた。
「何だろうっ?普段食べているのと変わらないのにっ」
僕の疑問に再びジルが説明をくれる。
「おそらくはアスワドを粗びきにした粉…これが香ばしく食欲をそそらせているのだろう。それに、このソースにも何か入っているな…ふむ…」
ジルは探るようにゆっくり食べる。
「なるほど、このさっぱりとした後味…ザンバクの実を隠し味にしているのか…」
さっきから出てくる単語はどうやら僕らの今いるアトランティス王国の隣、砂漠の都市国家イシュクの植物の名前らしい。
食べ終わるといつの間に入ってきたのか、メイドさんがお皿を片付けてくれた。
しばらくすると次の料理が運ばれてくる。スープとパンだ。
「こちらは、ルセルリのスープでございます」
(ルセルリ?)
「この匂いはセロリだろう」
ラルフは鼻がきく。爽やかな香りがするのはセロリなんだ。
一緒に出されたパンにバターを塗って食べる。
「うわあ、このパンすごく柔らかいし、バターも濃いっ」
「うむ。このスープはあっさりしていて旨いな」
バターは王都の北にある牧場から直接買っているらしい。
セロリはセロリルートという野菜で、お芋のスープよりも優しい味で体に染み渡る。
そして、待ちに待ったメイン。でてきたのは肉料理だった。
「当店のコースではメインは魚料理と肉料理なのですが、本日の午後、ドラゴンの肉が入りました。そこで、コースの内容を変更し、ドラゴンの肉をお召し上がりください」
「ほう」
これは相当珍しいのか、ジルも驚いたように目を丸くしていた。
「では、料理を並べさせていただきます」
メイドさんが並べてくれる間に執事さんが説明してくれた。
「ドラゴンの肉は、その希少性はもちろんですが、他のどの生物も及ばない味から最高級の食材として取引されております。そのドラゴンの肉の中でも最高の部分を焼きました。説明よりも、まずは一口お召し上がりください」
一口サイズに切り分けられた刺しの入ったお肉をレアに焼き上げ、ソースがかけられている。
見た目は普段食べている一角兎やバイソンの肉とかわりなさそうに見える。
(ふぅん、ドラゴンね)
執事さんの言葉を疑うわけではないけど、蜥蜴の大きいやつのお肉がそんなに美味しいのかな?
しかしそんな疑いは口に入れた瞬間に全てが吹き飛んだ。
(とろける~っ、何これ何これっ?)
目を白黒させてもう一口食べる。
(ふああっ、おいしぃぃ)
「旨い」
ラルフも舌づつみを打つ。
「これは……ワイバーンではないな?」
ジルの呟きに執事さんが反応した。
「お気づきになられるとは…。これはシルバードラゴンの肉でございます。ディルム山脈の山頂付近にあるコキュートスで発見されました。発見された時、氷付けのまま死後半年ほどだったそうです」
「コキュートス?シルバードラゴン?」
僕はジルの言葉が分からず質問した。
「ああ、コキュートスとは、この国の西の端にあるディルム山脈にある氷の洞窟だ。シルバードラゴンが住んでいる、と言われている。シルバードラゴンは寿命も長く体を覆っている鱗も厚い、ブレスは触れたものを全て凍らせる。しかし、シルバードラゴンにとっては家と言っても良いコキュートスで…なぜ死んでいたのか分かるか?」
最後は執事さんへの質問だ。
「いえ、詳しいことは…何分酔狂な登山家が見つけたもので。ただ、洞窟の壁は砕けて、ドラゴンの体には切り傷があったと聞いております」
「ディルム山脈のコキュートスでシルバードラゴンを殺した者がいる、という事か」
「ふーん」
パクっと口に入れると頬が自然と弛む。
「美味しいよぉっ」
体をくねくねさせて喜びを表現した。
もうどんな料理もかなわない。
気がつけばお肉はなくなって満腹になっていた。
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