10周目 9月23日(木) 午後6時50分 島津政信
(あれ?)
完全に日が暮れた学園の敷地内、亜紀がバスケ部の練習を終えてチームメイトと歩いているとよく見知った人影が見えた気がした。
「あっ」
「亜紀?どうした?」
亜紀の声に他愛のない話をしていた友人達が反応した。
「あっと…」
美紗は学園内ではそこそこ有名だ。概ね悪い意味で。亜紀のチームメイトの中にも、友達の彼氏が美紗に熱を上げて別れたとか、半分以上盛られた話だとは思うがやはり良い感情は持っていない。
(こんな時間にどこに向かって…?)
「ごめんっ、忘れ物したっ。先行ってて」
人影が向かった方に走り出す亜紀に後ろから「分かった」と声が掛けられる。
(確か…こっち…)
美紗が歩いていた先にある建物をいくつか思い浮かべる。
(部室棟、剣道場…柔道場…体育教官室…まさか…だよね)
柔道場なら良いな、と祈るように亜紀は体育教官室に向かった。
果たして、亜紀の祈りは通じなかった。明かりの消えた体育教官室の薄暗い扉の前に何かがごそごそと動いている。
(美紗…)
亜紀は後ろからゆっくり近づいて声をかけた。
「美紗…っ」
バッと顔を上げた美紗は真っ青な顔に目だけが爛々と輝いていた。
「ちょっと、私っ…亜紀だよっ…」
亜紀はまるで映画で銃を突きつけられた人のように両腕を上げる。
「亜紀か…」
美紗はホッとしたように息をついて再びドアに向かう。
「ねぇ…何してるのよ?」
亜紀が小さな声で聞く。
「あぁ、ダメか…」
美紗は立ち上がると教官室の周りを歩き始めた。
「ねえったら」
少し声を大きくすると、窓を触っていた美紗が亜紀に振り返った。
「邪魔しないでっ…ここに入らないといけないの…」
しかし窓は全て施錠されていた。
「はあ…」
ため息をつく美紗に亜紀は詰め寄った。
「ねえっ、私はあんたの味方だよっ。何も言わないで一人で抱え込まないで教えてよっ」
美紗は亜紀の表情を見て、それでもしばらくの間、逡巡する様子だったが、意を決したように話し始めた。
その内容は半分は想像していたが、まさか本当にそんなことになっているなんて、と驚かされる。
校内に仕掛けられたカメラで盗撮されてそれをネタに美紗が権田に脅迫されていること。そしてこの部屋のパソコンにその動画が残っている事を美紗が話す。
口には出さないが、きっと触られたりセクハラまがいの事をされているに違いない、美紗の顔色や態度から亜紀はそう思った。
亜紀の中で権田への怒りがふつふつと沸く。
(なんて奴なのっ)
「ねえっ、私も手伝うっ」
亜紀は美紗が何か言う前にまくし立てた。
「だってアンタがこの部屋に入ると目立つでしょ?アタシならよく入るからバレずに出来るからっ」
美紗は少し悩んで結局頼むことにした。
(無理なことを言わなければ葛城に迷惑はかからないだろう)
それが後に大きな失敗となる。
◇◇◇
9月24日午後12時20分 高樹美紗
翌日、昼休みになって美紗が亜紀と教室を出ていった。
昨夜、亜紀から連絡があった。柔道部に顔を出さないのを訝しんでいたけど、やはり権田に手を出されているようだ。
亜紀はアタシに手伝わそうとはしない。おそらくデリケートな問題だと考えての事だろうけど、こっちはそうもいかない。
アタシは二人の跡をつけようと少し遅れて教室を出ようとして。
「政信っ」
振り返ると沙紀の戸惑った顔があった。
「どうしたのよ?そんな怖い顔をして…」
(まずい…見失う)
「いや、ちょっとな。沙紀、すまん。急いでるんだ」
二人を追おうとしたアタシの腕を沙紀が掴んだ。
「ダメッ」
(?)
「あ…えっと、その…」
言い淀むのを見て、アタシが何を追いかけようとしているのか、沙紀が知っていることを直感的に理解した。
(何なのよ、この女っ)
「悪いけどっ」
手を振り払って階段に向かったときには二人の姿は完全に見えなくなっていた。
「見失った」
小さく舌打ちする。
(二人はどこへ行く?考えられるところは…)
その場に立ち止まったままアタシはしばらくの間宙を眺めて考えていた。
「ねえっ、政信っ、なんで高樹さんなのっ」
後ろからついて来た沙紀の泣きそうな顔を見ても何も感じない。そんなことより考えなければいけない。
(島津は権田に何かされている。そして今、二人でどこかに向かった。権田に何かするつもり?だとしたら権田のいる場所だけど…)
「ねえっ、政信ぅっ、聞いてよっ」
(いや、直接権田に何かするつもりなら女二人じゃ危ない。それならアタシにも声をかけてもおかしくない)
もう何も言わず沙紀は心配そうな目でアタシを見つめている。
(直接権田に何かする訳じゃない。だとしたら何をする?どこへ行く?だめ、分からない。だったら、可能性のある場所を手当たり次第行くしかないか)
アタシはとりあえず階段を下ることにした。
「私じゃ…わたしじゃダメなの…?」
沙紀の呟いた言葉はアタシの耳には届かなかった。
◇
「高樹やないか?」
葛城と二人で体育教官室に向かっている途中で後ろから声をかけられた。
(なんでこんなタイミングで権田が…)
「美紗、どうする?」
権田が近づいてくる間に互いに顔も見ず小声で相談する。
「亜紀は計画通りお願い。私が時間を稼ぐから」
昨夜二人で帰り道に考えた計画は、まず、昼休みに葛城が教官室に入って窓の鍵を開けておく。そして放課後、窓から侵入してパソコン内の動画や画像を消すというものだ。
昼休みに教官室が空いているのも俺は知っている。
さらにそのまま今夜、やはり権田を俺がおびきだして、その間に葛城が権田の家のパソコンからデータを抜くというもの。
既にこの先は教官室か格技場や部室棟しかない。
葛城が一歩前に出る。
「佐野先生に練習について相談があったんです」
事前に考えていたので亜紀はサラサラと答えた。
佐野先生とは女子バスケ部の顧問の体育教官だ。結婚はしているが、爽やかな容姿とスタイルで人気も高い。権田とは正反対だ。葛城はバスケ部の副キャプテンだから練習内容の相談くらいしても違和感はない。
ところが、権田は眉間にシワを寄せた。
「佐野先生ならいつも昼は食堂のはずやで」
食堂は逆方向。
「あれ?そうなんですか?…あっ、でも、せっかくだし一応部室に寄ってから食堂に行ってみます」
予想外の流れに若干焦りながらも葛城はなんとか言い訳をした。
「ふーん。ワシも今から教官室行くし、もしおったら言うといたるわ」
「えっ、あっ、ありがとうございます」
俺と葛城は顔を見合わせる。
(まずいっ、何とかしないと)
「あのっ」
権田に教官室に行かれては計画が台無しだ。今度は俺の方が権田に話しかけた。
「ん?高樹、何や?」
(なんとか教官室からこいつを離さないと)
「あっ、えっと、補習について相談があるんですけど…」
だけど、思いついたのはこれくらいだった。
「んん?それやったら教官室で聞くで」
(違うっ、教官室はダメだ…)
「えっと、その、実はプールで昨日忘れ物をして」
苦し紛れに適当な嘘をつく。
「何や?」
「えっと、電車の定期なんですけど」
権田が腕を組んで考える素振りをした。
「落とし物には無かったはずやけど。教官室ちゃうんか?」
(だから教官室じゃまずいんだって)
「もしかしたらプールの教官室かも。あのっ、先生っ、鍵を開けてもらえませんか?」
「ああ、…しゃあないな」
渋々と言う感じで権田が頷いた。
「すみません。じゃあ、亜紀、行ってくるね」
「うん、頑張って」
俺と権田は亜紀とは逆方向に向かって歩き出した。
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