一触即発のその時。
「ギャアアッ」「んああああっ」
魔物と人の叫び声がしてその直後、『ドンッ』と衝撃音がした。
(何だっ)
弓が転がってきたと思ったら後ろから気だるげな声がした。
「んっ、くっ……もぉ…ボス君、揺らしたらダメって…あんっ、言ったのにぃ…」
淡い月の光の中、サンドリザードに乗った少女の黒髪が揺れる。
「あっ、アオイっ、なんでここにいるんだっ?」
なんだか妙な色気を醸しながら葵は髪をかきあげた。顔が紅潮してうっすら汗をかいていた。
「だいじょうぶ?アズ…じゃなくて…アラン…なんだよね?」
どうやらすべて知ってしまったらしい。
「すまん…」
言い訳のしようもない。項垂れる俺に葵が微笑んだ。
ランドリザードから降りてもまだアオイは足がおぼつかないのか、杖をついて少し乱した息のままで俺の前に立つ。
「はぁ…一回イシュクの街に戻ってさ…んくぅ…エリスから聞いたよ。ホントに酷い…んくっ…よね」
なんだか本当に辛そうだ。
「ずっと…はぁ…僕を騙してたんだからね」
「本当にすまん」
俺がそう言って手を出そうとするとサッと躱されてしまった。
「いっ、あっ、今は…ダメ…んくっ…帰ったら…絶対ラルフを元に戻してよ」
顔を上げた俺は葵の後ろの人影に気がついた。
「アオイっ、後ろっ」
アオイが振り返るのと剣を振り上げていたエルフの体が二つに別れるのは同時だった。
アオイがもっていたのは杖だと思っていたが剣のようだ。
(いつの間に抜いたんだ?)
「んんっ…もぉ…とにかく…はぁ…戦いを…はぁ…終わらせないとね」
アオイが上気した顔で周囲を見渡す。突然の闖入者の登場にアラグノール達の統率が乱れていた。そして俺の仲間はそれを見逃すような間抜けではない。
「「ぐあっ」」
ラムジーが一人を斬り、カズンズ兄が一人を叩き殺す。
仲間が数人やられてようやくアラグノールが我にかえったらしく、仲間に怒鳴りつけた。
「なっ、おいっ、何を呆けているっ、奴等を殺せっ」
その声に手下の荒れ地エルフ達が動き出す。
「アオイっ」
少女を剣を抜いた四人のエルフが囲んだ。
(さすがに囲まれては…)
見るからに体調のおかしいアオイに加勢しようとする俺をゲイルが止めた。
「アランっ、こっちに来るんだっ」
(いやっ、でもアオイがっ)
だが、それから起こった出来事は俺の理解を越えていた。
一人のエルフが剣を手に距離を詰めようとした瞬間、重心を低く構えたアオイが一歩踏み出す。
「ガアッ」
エルフが倒れた。
(何が起こったんだ?)
アオイを見ると片刃の剣を鞘に戻すところだった。
「くそっ、舐めやがって」
アオイが剣を鞘に戻すのを見てエルフ達が三人がかりで斬りかかった。
(あっ)
アオイが一歩下がり三本の剣を躱す。そして、先程と同じように一歩踏み出す。
「グアッ」
二人が地面に倒れる。
「何ッ…貴様ッ」
そして残った一人には剣を抜いたまま相対した。
「もう女だからって手加減しねえッ」
そう言って残った男が力任せに剣を振るが、アオイは余裕を持って躱す。
(いくらアオイの体調が悪いと言ってもあんな力任せな大振りでは当たるはずがないだろう)
その時、ゲイルに引っ張られて向いた先で矢をつがえたエルフが俺の目に入った。
「アオ…」
アオイは男の方しか見ていない。
『ヒュッ』
(間に合わないっ)
だが、矢の飛ぶ風切り音の直後に『キンッ』と、矢が弾かれる音がした。勝利を確信していたエルフの目が驚きに見開かれる。
「そっちを気にしていたのは分かってたよ」
「くそッ…死ねえッ…ぐあぁぁ」
それからもアオイが剣を抜く度に一人、二人と斬られていく。
さらにアオイに目を奪われている間に、ラムジーとカズンズ兄も着実に烏合の衆となった敵を減らし、ついに最後の一人となった。
「ふぅ、やっと体が楽になってきたよ。あなたが最後だね」
アオイが剣を振って血を飛ばして鞘に納める。
「なっ、何なんだっ、貴様はっ」
アラグノールがアオイを見て後ずさった。
「何なんだって…ええっと…あれ?何なんだろ?うーん…」
アオイは首を傾げて考える。
「おいっ、お前っ、自分が何をしようとしているか分かっているのか?俺が誰か分かってやっているのか?」
杖をアラグノールに向けたままアオイが頷いた。
「子供を人質にとる脅迫犯…でしょ?」
アオイが俺を見た。
「アオイ、こいつだけは…」
俺はアラグノールのもとに向かう。サリオン先生や、子供の頃に殺された友達の顔が瞼に浮かんだ。
(こいつのせいで…全てこいつが…サリオン先生…)
「お前っ、俺が誰か分かっているのか?俺は純血…」
「煩い」
『ゴッ』
怪我をしていない方の拳で殴る。すると、アラグノールは憐れみを誘うかのように倒れこんだ。
そして、あれほど偉そうにしていたのが嘘のようにアラグノールは卑屈な笑顔を俺に向けた。
「やっ、やめてくれっ、…そっ、そうだっ?何が欲しい?金か?女か?何でも…」
『ゴッ』
「ぶばっ」
再び殴る。骨に当たったのだろうか。拳が痛む。
「もうやめてくれっ、ひいっ」
後ずさって逃げようとするアラグノールに馬乗りになった。俺は拳の痛みなど無視して殴る。
『ゴッ』「やっ、やめろっ」『ゴッ』「やめっ」『ゴッ』「やっ」『ゴッ』「…」『ゴッ』「…」『ゴッ』『ゴッ』『ゴッ』
もはや痛みなど感じない。淡々と殴り続ける。
『ゴッ』『ゴッ』『ゴッ』『ゴッ』『ゴッ』『ゴッ』『ゴッ』『ゴッ』『ゴッ』
その時、不意に麻痺していた俺の拳が温もりに包まれた。
「アランっ、もういいのっ、いいからっ」
声のする方に目を向けると布を纏っただけのディジーが泣いていた。俺はディジーの両手に包まれた血塗れの拳を下ろす。
「アラン…ごめっ、ごめんなさい…」
ディジーが俺の体を抱き締める。
そして俺は目の前の男が息絶えていることに気がついた。
「うぅぅっ、アタシが…ぜんぶ、アタシのせいなのよぉ…ごめんなざいぃぃぃ」
俺は固まった拳を開いて、そっとディジーの背中をさする。
ポタポタと赤茶けた地面に何かが落ちた。濃い赤の染みが出来る。
(なんだ…?)
頬を熱いものが伝った。それが涙だと分かって、俺は天を仰いだ。
「サリ…オン、先生…う…あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
◆◆◆
三日後。
「アラン、怪我はいいの?」
俺は両手に包帯を巻いている。
「そんなこと気にすんな。アオイのお陰で俺達は助かったんだからな。むしろ三日も待たせてすまない」
俺達は狼の石像の前にきていた。
「バズ」
俺の呼び掛けに砂が盛り上がってバズが顔を出す。
そして、呪いを解くと冷たい石像が美しい銀色の狼へと姿を変えた。
「グオオ」
アオイが抱きつく。
「ラルフっ」
「アオイ、コイツラハ?」
「うん。色々あってね。敵じゃないよ」
「ソウカ」
銀狼は頷き、人の姿へ変化した。
「はい、ラルフの服だよっ」
アオイが渡した服を着たのを見計らって俺達は恐る恐る近づく。
「あっ、あの…この度は…すみませんでしたっ」
俺が頭を下げると隣でバズも頭を下げる。
「ああ」
(…あれ?)
「あの…」
「何だ?」
人の姿へと変化したラルフさんは俺を見る。
「俺達の事、怒ってないんですか?」
「なぜだ?」
俺は殴られることも覚悟していただけに拍子抜けした。
「え…だって、襲ったわけだし…」
「石化したのは俺の落ち度だ。葵を守れなかった己の不甲斐なさに怒りこそすれ、なぜお前達に怒らねばならんのか?」
「でも…そうだっ、銀貨も使っちゃいましたし…」
「勝利したものが敗者から奪うのは当然の権利だろう?」
そう言われるとそれ以上は何も言えない。
「ねっ、ラルフは怒らなかったでしょ?」
アオイがそれ見たことかと胸を張る。
「だが、葵には言いたいことがある」
「え?」
「なぜこの場にジルがいない?」
「あれ?…えっと…」
「お前一人で何かあったらどうするつもりだったんだ?すぐにジルを呼びに戻るべきだろう。違うか?」
「い…いや…その…だって…」
「だってじゃないだろう?」
「はぃ…」
クドクドと説教されているアオイを見てなんだか笑いが込み上げてきた。
「プッ、はははははははっ」
空に向かって俺は笑った。
(サリオン先生、俺達はこれからも頑張って生きていくから見ていてください)
◆◆◆
その後、俺とバズは世界樹の石化を解いた。
もちろん、世界樹は復活したけど、エルフ達が世界樹に再び縛られることはなかった。
ちなみに、エルフ達の反応は様々で、旅に出る者もいれば、世界樹を守るという使命のため、森や砂漠に残った者も少なくない。
だけど、自分の人生を自分で決める自由こそがサリオン先生が望んだものだったのだろう。
次に、アラグノールと荒れ地エルフ殺害の件は奇跡的に生き残っていた森エルフの一人が証言してくれたおかげで不問となった。
良かった事と言えば、エルフ達が純血に拘っていたのも世界樹による本能的なものだったらしく、ハーフエルフに対するこれまでの謝罪を受けた。
そう言えば、俺達のアジトを襲ったアラグノールの手下は弾正によって撃退され、アジトに残ってた仲間は全員無事だった。
礼を言おうにも既に弾正は姿を消していた。ルーの暗い目が少々気になったけど…。
それから、孤児院はディジーが引き継ぐことになった。
どうやらディジーは孤児院の子供達に手を出さない事と引き換えに、何年も前から体を差し出していたらしい。
そして、アオイとラルフさんはディジーからアラグノールやサリオン先生の話を聞いていた。
「最近になってアラグノールの近くに知らない男が出入りするようになったわ」
その男は、常にフードつきのマントを被っていたらしい。そして、アラグノールはその男に何かを吹き込まれていたようだ。
「背丈からして男だと思うんだけど…顔は見たことがないの。ごめんなさい」
男の情報としては身長は180センチ以上で筋肉質ということしか分からなかったが、アオイ達は納得したらしい。
「サリオン先生みたいになれるかは分からないけど、アタシも子供達のために生きていきたい」
そう言ったディジーは凛々しく、かっこよかった。そして、そんなディジーの隣にはゲイルが立っていた。
「ん?ゲイル…えっ?いつの間にっ?」
俺がそう言うと、二人は顔を合わせてはにかんだ。
「何だ、アランは知らなかったのか?」
(全然気づかなかった…)
「そんなことより行かせて良かったのか?」
ラムジーが言っているのはアオイの事だ。
「良いんだよ…」
「ラルフさんっていう怖いボディーガードもいるしね」
ディジーが笑う。
「いやいや、そうじゃないからっ」
「大丈夫ですぞっ、アラン殿には自分がおりますゆえっ」
カズンズ兄が俺をじっと見る。スッと仲間たちが俺達から離れた。
「…って、何言って…おいっ、みんなっ、何離れていくんだっ…ちょっと待てよっ、違うからっ、って、おいぃぃぃ」
仲間たちが笑いながらアジトに走っていく。カズンズ兄も俺を気にしながら先にアジトの中に消えた。
「バズ」
俺の呼び掛けにバジリスクが砂の中から顔を出す。
俺が物心ついてすぐ、イシュクの街壁の外で出会った初めての友達。
「バズ、これからもよろしくな」
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