初めての気持ち

居残り鍛練をせずに道場を出た私は先日の薬師の店の近所をあてもなく歩いていた。

今日で三日連続だ。いい加減、武三や犬千代殿は不審に思い始める頃だ。

(そうそう会えるはずもないか…)

確か男はあの日は体調が良かったから外出した、と言っていた。だからこうしてここにいるからといって会える可能性は低い。

それでもここに来てしまった。

あの男の姿、声が頭にこびりついている。こんなことは初めてでどうしたものか分からない。

(最近はこんなことばかりだ)

毎夜行う秘事に加えて新たな感情に翻弄されている。

(とにかくもう一度会えば何か分かるかもしれないと思ったけど、今日会えなければ諦めよう。そうだ、私は土御門家のために生きるのだ)

気合いを入れ直してもう一度周辺を歩こうと思った矢先、横から私に声がかけられた。

「おや?」

声のする方を見る。

「ああっ」

そこにいたのはまさに今、私の探している男だった。

「今日も薬を買いに?」

「えっ、いやっ、あっ、…はい…」

想定外の事態に吃りながらなんとか答えた。

「私もなんです。ではともに参りましょうか」

気がつけば二人、並んで薬師の店に向かっていた。

(どっ、どうしようっ)

「あのっ」

焦った私は、思った以上に大きな声を出してしまった。

柔らかい声の主が不思議そうに私を見つめる。

(何か、何か言わないと…)

「そっ、そのっ…刀っ、そうっ、なぜ私の刀が体に合わないと分かったのですかっ?…あっ、いや、その、やっぱり刀鍛冶をされているとわかるものですかっ?」

男はうーん、と考えるように腕を組んだ。

「そうですねぇ…うーん、どうなんだろう。私はなんとなく分かるのですが…おや、着きましたね」

話しているとあっという間に薬師の店に着いた。

「いらっしゃい…ん?村正さんに、こないだのおサムライさんかっ。どうだい?うちの薬は効いただろ?」

「村正…殿?」

「ええ、そう言えば名前も言ってませんでしたね。私の名前は村正と言います。殿などつけないでください」

「はい。えっと、…村正…さん」

口の中で何度も村正さんと呟いていると、そんな私に村正さんが笑みを向ける。

「あなたのお名前をお聞きしても?」

「あっ、はいっ、私はつち…いや、千手丸と申しますっ」

「ほう、千手…良い名前ですね」

なぜか、名前を誉められただけでボッと顔が熱くなった。

それから店で薬を買うと、今日はゆっくりできると言う村正さんと一緒に日が落ちるまで茶店で話をした。

後から考えると、なんだか自分ばかり話していた気がして恥ずかしくなる。

さらに別れの時に村正さんがまたお話でも、と言ってくれて私は有頂天になってしまった。

(またお会いできる…村正さん…)

◇◇◇

「はぁ…こんなこと…いけないのに…」

掛け布団は足元でぐしゃぐしゃになって、敷き布団は腰をくねらせているせいでシワまみれになっている。

あの初めての自慰に酔った夜の翌日、私は再び罪悪感を感じながらも自慰に浸ってしまった。

実は、それ以来、布団に横になると体が火照って眠れなくなり、毎晩体を慰めてしまっていた。

(こんなこと、止めないといけないのに…)

それなのに、より強い快感を求めて、私の指は的確に動いた。

「あっ、んん…」

やめなければいけない、私は土御門家の嫡男、千手丸だ。

「だめっ、そこはっ、んっ、ああっ」

だけど指が胸と股間の固くなった部分を同時に擦ると、止めようと思う気持ちは簡単に崩れてしまった。

(今日まで、今日で終わりにしよう…)

そう心の中で言い訳をすると、瞼の裏に一人の男の姿が浮かび上がる。ここ数日、自慰に耽るときには必ずこの男を思い浮かべていた。だけど、今日は昨日までと比べて男の姿ははっきりとしていた。

男は会ったときと同じ茶色の着流しを着ている。髪はやはり無造作に後ろで束ねており、優しそうな表情にキラキラと光る目で私を見ていた。

「村正…さん…」

名前を口に出すと、なぜだか顔が熱くなる。

(村正さんに触られたら…って、私は何を考えているんだ…)

毎夜妄想しているものの、今はまだ理性が残っている。ブンブン頭を振って私は男の姿を追い出そうとした。

(『千手丸さん』)

だけど、一度思い浮かべてしまうとなかなか離れてくれない。村正さんの少しハスキーで低く、落ち着いた声はまだ耳に残っている。

不意に茶屋で湯呑みを持った時に見た、村正さんの長い指を思い出す。

(あの指で…ここを…)

『クリッ』

濡れた粘液の中で固くなった膨らみを摘まむ。

「んああっ、あっ、そんなとこぉっ」

(「もう、ビショビショに濡れてますね」)

頭の中では村正さんの声で再生される。

「そんなっ、あっ、言わないでっ、あっ、くださいぃっ」

(「ふふふ、その割にはますます濡れてきましたよ?」)

「あっ、んっ、村正さんっ、やっ」

(「嫌なんですか?」)

村正さんの困ったような笑顔に思わず正直に言ってしまう。

「いえ、…その…気持ちよくて…」

恥ずかしさに体が熱くなる。ところが、声に出すことが私の願望だったようだ。一度口に出してしまうと、こらえていた声が溢れ出した。

「あっ、きっ、もちいいっ、村正さまぁっ、もっとぉっ、おかしくなるっ」

強く揉んだ胸がひしゃげて、股間からはヂュプヂュプと空気の混ざった水音が響く。

「あっ、らめっ、おかしくなるっ、くるっ、なんかキちゃうぅぅっっ」

私は頭の中で再生されていた村正さんの声が聞こえないほど大きな声をあげてしまっていた。

「ああああっ、くりゅっ、おかしっ、あっ村正さまぁぁぁぁっ」

夜の静寂(しじま)に千手丸、いや、このときばかりは千姫の甲高い声が響いた。

そして、浮かれていたせいで千姫は気づいていなかった。茶店でも、そして、今も見られているということに。

◇◇◇

起きたばかりなのに僕はベッドの上で口をポカンと開けて座っていた。ガタン、ゴトンとレールの音がする。

「なんで?」

村正が男だった。

でも、村正を僕は知っている。間違いなく女だ。

ということは、同名の別の村正なのか?でも男は刀鍛冶をしてるって言ってた…。

(…だとすると、あの村正は誰なんだ?そもそもこの夢は一体何なんだろう?)

頭の中で二人の村正がぐるぐる回る。

(意味が分からない…)

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