弾正さんが冷や汗をかいている頃、走り出したばかりの僕も別の意味で冷や汗をかいていた。
柔らかいと思って跨がった部分に突起のようなものが生えてきたのだ。そこはちょうど脚の付け根付近。タイトなミニスカートは走っているうちに揺れによりずり上がっている。
「えっ、ボス君?」
「ギャ?」
顔だけ振り返ったボス君は何か文句でも?と言わんばかりでスピードを緩めない。
グラッと体が揺れる。
「んっ、あっ、ちょっ、ええっ?」
グイグイと押しつけられる突起がパンティ越しに敏感な部分を擦る。
「あんっ、ちょっとぉ…」
ボス君の首に腕を回して文句を言おうにも揺れる度に性感が刺激されてなかなか言いたいことも言えない。
(だからトカゲ達は鞍をつけてたんだ…)
ルーさんが言おうとしたのはこのことだったのか。
ボス君がもう一度振り返ってニタっと笑った。
◇◇◇
「なあ、アラン…ディジーのことなんだが…」
ランドリザードから降りた俺に言いづらそうにゲイルが話しかけてきた。
「いや、今はやめておこう」
俺はそう言って前を見る。月明かりの向こうに森が黒く見えた。エルフは耳が良い。だから面倒だし時間も掛かるがかなり遠くから歩く事にした。
(森エルフから攻撃されるだろうからな)
誰も傷つかないなんて虫のいい話はないのかもしれない。だが、最大限の努力をしたい。
リザードから荷物を下ろして15人で円陣を組む。
俺は皆の顔を順番に見つめた。同じ孤児院で育った幼馴染みのゲイル、元冒険者のラムジー、ドワーフと森エルフの混血という珍しい組み合わせのカズンズ兄弟。
ラムジーやゲイル以外にも男のメンバーが全員志願してくれていた。
ちなみにカズンズ兄弟は兄はドワーフの血を濃く引いていて毛むくじゃらで背も低いが筋肉達磨で半端なく力が強い。弟は森エルフの特徴が強く現れ、背も高く金髪に真っ白の肌。一見すると弟は男か女かの見分けもつかない。
はっきり言って、二人が兄弟だと知っていても疑ってしまうくらい似ていない。
二人との出会いは、半月が人買いの馬車を襲ったことがきっかけだった。その馬車に二人は乗せられていたのだ。
ところで、二人を馬車から救出した際に兄だけがボロボロだったので理由を聞いてみると、人買いはもともと見目麗しい弟だけを金持ちの変態に売るために捕まえたらしい。
だが、兄が弟を助けるため護衛を何人も張り倒した挙げ句、弟を楯に動きを封じられると、自分も売らないと全員殺すと脅迫して自ら馬車に乗ったんだそうだ。
そんな兄弟の絆は余人の入る隙もないほど固い。美貌の弟はどこに行っても男女問わず言い寄られ、そして言い寄った者達は例外なく叩きのめされた。兄によって。
そして、そんな奇妙な二人だが、俺の話を聞いて、恩を返したいと一番乗りに直談判してきたのだ。
最初兄は弟を危険な目に遭わせたくないため自分一人の参加を強く希望したが、弟は弟で、「兄さん一人じゃ不安だから」と引き下がらず、しぶしぶ兄が折れた。
さて、一通り仲間の顔を見渡した俺は作戦の確認をして最後に締めくくる。
「いいか、森に入ればもちろんだが、ここから先はエルフから攻撃される可能性がある。気を抜くな。絶対に全員無事に帰るぞ」
皆が頷いた。
「アランの言う通りだ。戦いにおいて撤退が一番難しい。厳しい事を言うようだが、怪我人は足手まといになる。だからさっさと離脱すること。いいな」
冒険者として名を馳せたラムジーの言葉に一部の若いメンバーは緊張と恐怖からか少し顔が青ざめる。
「なあ、そんなに心配するなよ。俺達にはバズがいるんだからさ。それよりさ、帰ったら旨いもんでも食おうぜ」
ゲイルがその緊張した空気をほどよく和ませて、俺達は森に向けて歩き始めた。
歩き出して一時間。
吹いてくる風が乾燥したものから湿り気を帯びたものに変わる。森が近い。
前を行くのはカズンズ兄弟の弟。森エルフの血を濃く受け継いだ弟は視覚や聴覚に優れているので見張りも兼ねて一番前を歩いている。
その後ろを歩く俺の目には嫌でも流れるような金髪が目に入った。
(森エルフはみんなこんな風なのだろうか?)
これから戦うことになるかもしれない森エルフを思い、キラキラと輝く金髪を見ていると、俺の隣を歩く兄が何やらブツブツ呟いていた。
「アラン殿の弟を見る目…これはっ…いかんっ…いや、大恩あるアラン殿が所望されるのであれば…」
(なんだか隣から変な言葉が聞こえるような…)
「弟よっ」
呼ばれた弟が振り返った。
「兄さん、どうしたの?」
「アラン殿が所望されるのであれば受け入れるのだっ、…いや、それではよくないなっ。アラン殿、弟の代わりに是非自分をっ」
「はあ?」
兄は着ていたフルプレートをわざわざ脱いで服をはだける。胸板が見えないほど豊かな胸毛が飛び出した。
「え?ちょっ、何言ってんだ?」
カズンズ兄の奇行に俺は思考が止まる。
「アランさん、気にしないで下さい。いつものことなんで」
弟は振り返って冷静に言った。
「兄さん、落ち着き……あっ…」
穏やかな弟に緊張が走る。
「みんな伏せてっ」
その声に皆がさっとしゃがむ。と同時に頭の上を矢が過ぎる風切り音がした。
「ようやく来なさったか。よし、盾を出せっ」
ラムジーが指示を出して全員背中に背負った盾を前に出した。カズンズ兄はフルプレートを着直して、槌を振りかざす。
木に金属の薄い板を貼った盾からは矢を弾く音がする。相手は森から撃ってきているらしく、まだ遠いせいか威力はそれほどないようだ。
「一気に森まで突っ込むぞ」
俺は盾を前にして走り出した。森はすぐそこだ。だが、近づくにつれて矢の当たる音が大きくなる。
(何とか森まで行かないと…)
矢が金属板を貫いて盾に刺さり始めた。
(くっ、これはキツいっ)
仲間たちも矢の勢いでなかなか前に進めなくなる。
(せめてどこから撃っているかだけでも分かれば…)
そう思って見渡した俺は一人隠れられるくらいの岩があることに気がついた。
(あそこなら隠れて見れそうだっ)
俺は岩の陰に走り込む。仲間達は皆無事のようだが、絶え間ない矢の勢いに若いメンバーは足を止めている。
(…どこから撃っている?)
チラッと森の入り口に金色の髪がひるがえった。
「ラムジーっ、カズンズ兄っ、森の入り口に五人っ」
「「おうっ」」
ラムジーが飛んでくる矢を剣で切り落としながら、カズンズ兄は全身鎧に当たる矢をものともせず人影に向かって走り出す。
すると、二人の勢いに圧されたのか、矢の攻撃が止んだ。
「逃げたか…」
その間に遅れていた仲間達も合流する。
「さあ、ここからはハードになるぜ」
ラムジーがカズンズ兄を呼ぶ。
「覚悟はいいか?」
「安心せいっ。自分はアラン殿に尻も捧げたのだっ。矢の一本や二本刺さったところでっ」
チラッと兄が俺を見て頷く。
(おいぃっ、尻は捧げてないだろっ)
もはや誰もカズンズ兄に突っこんでくれないため、心の中で一人叫ぶ俺にラムジーが確認する。
「アランも分かってるな?」
「えっ、ああっ」
それを聞いたラムジーは一度大きく息を吸った。
「盾を構えろっ、いくぞおっ」
その大きな声は静かな森の中まで響いただろうか。ラムジーとカズンズ兄が先頭に立ってそれぞれ6人ずつを連れて森に突っ込む。
(みんな、すまん。無事でいてくれ)
俺はきっちり三分数えてバズを呼んだ。
「バズ、土の中を行けるか?」
固い地面から顔を出したバズは頭を振る。
(やっぱり無理か)
20メートルクラスのバジリスクはさすがに目立つので出来れば地下を通って欲しかったが、砂漠と違って固い地面、木の根が張り巡らされた地中を移動するのは難しいようだ。
「頭を上げずについてきてくれ」
俺は盾を捨てて身軽になると腰を曲げて森に入る。バズは地面を這って俺に続いた。
森に入ると、カズンズ兄の雄叫びと、鎧に矢が当たる甲高い音が響いていた。だが、俺の動きは森エルフ達には気づかれていないようだ。
(陽動が効いている。みんなもう少し耐えてくれっ)
俺は焦る心を抑えて、目立たないように木の陰から陰へと走る。
『キンッ』
不意に近くで金属音がしてそちらを見るとラムジーが必死の形相で怪我をした仲間の一人を庇って剣を振っていた。
(くそっ)
ラムジーも掠り傷が身体中に出来ている。歴戦のラムジーでこれだから戦闘経験の浅い仲間達は…。不意にラムジーか
こちらを見た。
(心配するな、早く行け)
ラムジーの目はそう語っていた。
俺は小さく頷いてさらに急ぐ。
木々の隙間を抜けて森の奥へと走っていくと、徐々に戦闘の音が遠くなり、ついに消えた。さらにしばらく走ると木々のない小さく開けた場所に出た。
真っ暗な地面に夜露が月の光を反射してキラキラと星のように輝いて、まるで自分が空に浮かんでいるように感じる。
そしてその先に見たこともないほど巨大な大木がそびえ立つ。
「これが…世界樹…」
天高く伸びた大樹、幹の周囲は大人が20人がかりでようやく囲めるくらいの太さ。
『ヒュッ、ギンッ』
その時、バズが首を上げた。俺を狙って飛んできた矢をバズが間に入って固い鱗で止めてくれたらしい。
「くそっ、やっぱり本丸にもいるよなあ」
周りを金色の光が飛び回る。
『ヒュッ、ヒュンッ』
俺は腰から抜いた剣で飛んできた矢をなんとか弾いた。
目が慣れてくると森エルフが複数いることが分かる。
(ちきしょう、一体何人いるんだ?)
長い時間は耐えられそうもない。
「バズ、時間がないっ、頼むっ」
俺の言葉に応えてバズの瞳が真っ赤に染まる。世界樹の根本の一部が灰色に変わった。
だが、そう簡単にはいかない。バズが全身を震わせて力を振り絞る。
『ヒュッ』
その時、バズの瞳を狙って矢が飛んだ。
(しまったっ)
俺は反射的に腕を出した。
『ゴッ』
激しい衝撃。そして浮遊感。
『ドサッ』
「ぐっ」
至近距離から撃たれた矢の威力で体ごと吹き飛ばされた。腕は痺れたまま感覚がない。
(こりゃあ骨までイッちまったか…だけど、森エルフで良かったぜ)
荒地エルフなら間違いなく矢じりに毒を塗っている。それなら厄介なことになるところだった。
だが、だからと言って危険なことに変わりはない。
「ふっ、ぐふっ」
刺さった矢を抜いて布を巻きつけるが、血は止まらない。
「だい、じょうぶだっ、続けるん、だ」
不安そうなバズに呼びかける。
「お前はっ、俺が…守るっ」
(バズがやりきるまで俺が守ってやる)
ここで俺達がやりきらなければ孤児院の子供達が殺される。仲間達が傷ついた意味がなくなる。その思いが俺を動かしていた。
脂汗をかいて荒い息のままなんとか立ち上がってバズに寄り添う。頭も打ったせいか目眩に加え目も霞んできた。
「来るなら来いっ、俺はここだっ」
見えない森エルフに向かって叫ぶが、攻撃は止んだまま時間だけが過ぎた。
「キィィ」
そして、バズが無事に終わったと一声鳴いた。
「バズっ」
『ズズン』
バズがぐったりと体を横たえる。
さすがにこれだけのものを石化するのはキツかったらしい。痛みをこらえて屈んで見ると、息は荒いものの命に別状はなさそうだ。
安心して立ち上がった俺の目に映るのは月明かりに輝いていた葉も、力強く天を突いていた幹も灰色に変わり、命を失った世界樹の姿だった。
それだけではない。
世界樹が命を失ったのは森に起こった異変からもはっきりと分かる。ある種の異界のような緊張感が消えている。
(さて、そろそろか)
「いるんだろう?出てこいよ」
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