「葵っ」
小声でテレサさんが僕に囁いた。
「私が時間を稼ぐ。その間にエルザ様をっ」
「わっ、分かりました。でも…」
あのバアルの強さは尋常じゃない。
「なんだい?…はあ、ヒヨッコに心配されるとはね」
大袈裟な溜め息をついたテレサさんが急に真剣な顔になった。
「葵、お前に教えた時間は短かったけど、なかなか筋のいい生徒だったよ。これも何かの役に立つかもしれないから私の戦いをしっかり見てな」
仕込み杖を抜いてテレサさんが刀の名を呼ぶ。
「備前三郎国宗」
ボワンと煙が出て、中から頭の禿げた白い髭のお爺ちゃんが現れた。
「ほほほ。テレサちゃんや、久々じゃの」
「国宗、悠長な事言ってる場合じゃないよ。力を貸しな」
「ん~、久々じゃのに…仕方ないのぉ」
ホイっと気の抜けた返事をしてお爺ちゃんがテレサさんに飛び付いた瞬間、パアアッとテレサさんが輝く。
(父さんの時と同じだ…)
「抱きつくんじゃないよっ。イチイチ気持ち悪いっ、全くっ」
テレサさんの声が少し高くなったような気がした。
そして光がおさまると、そこには白髪のテレサさんではなく、黒髪でショートカットの美少女。身長はテレサさんと変わらない。年齢は僕より少し下だろうか。胸は…年相応かな?
「葵、何見てるんだいっ」
(うぇっ、テっ、テレサさんっ?)
若返っても話し方や態度は変わらない。
「準備は出来たか?二人一緒でもいいんだぞ。最早遊ぶ必要もなくなったしな」
バアルが玉座でぐったりしたままのエルザにマイムールを向けた。
「ふんっ、私一人で充分さね」
黒髪の少女となったテレサさんが刀を下段に構えた。
「いくよっ、葵っ。エルザ様を頼んだよっ」
小声で言うとテレサさんが消える。
「えっ?」
僕も、おそらくバアルもその瞬間呆けたように動きをとめた。
(消えた…)
速すぎて見えないとか、そういう次元じゃない。まるで存在そのものが消えたような…。
『ビュッ』
そしてそのテレサさんがバアルの真横に現れた時には刀がバアルの首をはねる直前だった。
(あっ…)
「ぬおっ」
さすがに驚いた様子だったが、バアルも反射的に顔を仰け反らせる。
『シュパッ』
血が吹き出した。
「うぐあぁぁっ、グオオオっ」
無茶苦茶に振ったマイムールが当たる寸前、テレサさんの姿が消えた。
「チッ、浅かったか…」
バアルの脇にテレサさんが姿を現す。
「きっ、貴様ぁっ、何をしたっ?」
首を押さえてバアルが呻くが、テレサさんはその言葉を無視して、僕をチラッと見た。
「次で決めるよ」
テレサさんの黒髪がフワリと広がったかと思うと、再び姿が消える。
(エルザをっ)
僕も玉座に走る。
「グオオオオッ、これならどうだっ」
首を押さえてバアルがマイムールを掲げる。
『バチバチバチバチバチ』
「うわっ」
マイムールを中心に放射された雷が僕の行く手をも遮った。
(くっ)
距離を取らざるを得ない。
(テレサさんは…?)
雷撃が消えて見渡すと、テレサさんはバアルから少し離れた場所に膝をついていた。
「はぁ、はぁ…面倒だね…」
(良かった、無傷だ…でも、どうやって躱したんだろう?)
「あれを躱すだと…?どういうことだ…逃げ場などなかったはずだが…」
そう、バアルの言う通りだ。バアルを中心に全方向に雷撃は発射されていた。躱すことなどできない。
バアルもじっくりとテレサさんを観察する。
「…んん?どうした?息が乱れているようだが…」
「はあ、はあ…うるさいね…はあ、はあ…」
確かに、絶対的に優位なテレサさんの方が疲労が激しい。
「…なるほど。そうか…」
バアルの手が首から離れた。
(傷が塞がった?)
「うるさいね。次で終わりなんだから、疲れなんて関係ないよっ」
テレサさんの姿が三度(みたび)掻き消えた。
次の瞬間、バアルがマイムールを振り上げる。
『ギィィン』
「くっ」
先程と同様、気配もなく唐突に現れたテレサさんの刀をバアルが止めた。テレサさんは一度空中で刀を引こうとして。
「逃がさんっ」
バチバチバチッとマイムールから雷が流れる。
「テレサさんっ」
刀を通して雷撃がテレサさんに達する。
「うぐあぁぁっ」
体から力が抜けたように、テレサさんの体がその場に崩れ落ちた。
「ククク、能力を見せすぎたな。姿が消えている間はどんな攻撃も躱せるようだが、攻撃時に姿を現さないといけないのがお前の弱点よ」
「ぐっ…」
テレサさんは痺れが残っているのか、バアルに言い返すことも出来ない。
「そして、時間の無いお前が私の唯一晒している首を狙う事など明らかだ。どこを狙うかさえ分かっていれば、姿は見えずとも防ぐのは簡単なことよ」
「くっ、もっ、もう一度…」
テレサさんがふらつく体で立ち上がろうとした、その時。
『ボワン』
白い煙と共に先程のお爺ちゃんが現れ、同時にテレサさんが元の見慣れた姿に戻った。
「テレサちゃんや、時間切れじゃよ」
「まだいけるさねっ」
「これ以上は無理じゃよ。ほれ、テレサちゃん、もう目も見えとらんのじゃろ?そろそろ他の器官にも影響が出る頃…」
テレサさんが足がもつれて床に倒れた。
「ああ、三半規管までやられてしもたか…テレサちゃんも、無理しよるから」
心配そうにテレサさんを見ていたお爺ちゃんは何か言いたそうに一度僕を見て、ボワンッと煙のように消えた。
「ふむ。終わりか…」
バアルがマイムールを振り上げる。
「やめろっ」
僕は気がついた時には走り出していた。
『ヒュッ』
バアルがマイムールを降り下ろすのがスローで見えた。
『ギャンッ』
横からマイムールの刀身に村正を打ち込み剣筋を変える。マイムールはテレサさんの体の脇を通って床に突き刺さる。
「また貴様か…良いだろう。ではお前を殺してから止めを刺してやる」
テレサさんのシワだらけの口が開く。唇が動いた。
「…おうじょを…」
「分かってますっ、だけどっ、僕にはテレサさんを見殺しにはできないっ」
聞こえているか分からないけど僕はバアルの前に立った。
「美しい師弟関係か…くだらんな」
(「いかんっ、主殿っ、バアルには勝てんっ」)
(「ごめん。村正」)
僕は全ての力を解放する。
(「はあ」)
村正が溜め息をついた。
(「主殿はそう言うと思ったわ…仕方ないの、よいか?もって数分、それ以上は体が発情して動けなくなるぞえ」)
村正の声は悲しそうで、だけど少し嬉しそうに聞こえた。
「死ねっ」
バアルの腕の動きがハッキリと見える。
『ヒュッ』
袈裟斬りを踏み込んで躱す。
「躱したかっ、面白いっ」
『ヒュッ、ビュッ』
僕はバアルの剣の届く範囲で躱し続ける。
「敢えて死地に臨むか。その心意気は買うが相手が悪かったな。ハッ」
鋭い剣さばきを紙一重で躱すけど、マイムールが白いエプロンを掠めた。
一瞬の気の緩み、一手のミスで僕は死ぬ。そんな状況で僕は一撃を狙う。
「面白いっ、いいぞっ、ハアッ」
『ピッ』
刃が掠めてワンピースの袖の二の腕の部分が裂ける。
「ちょこまかとっ」
『シュパッ』
エプロンの片方の肩紐が千切れる。
(「まずい…当たり始めておる。主殿っ」)
村正の声がする。
(くそっ、隙が…ない)
『ヒュッ』
突きを辛うじて躱したものの、体勢が崩れた。
「くっ」
「正面から私に挑んでここまで出来る人間は初めて見たぞっ」
(「…時間がないぞえ…」)
『ドクンッ』
「んっ」
『ヒュッ』
躱しきれず髪留めが弾け飛んで髪が背中に落ちる。
『ドクンッ、ドクンッ』
(動悸が…まだ…もう少しだけっ)
僕は後ろに転がるように下がって膝をついた。
「どうした?…娘?」
「うっ、くっ」
(「…いかん…体の発情が始まってしもうたか」)
自分の体を抱き締めて震えを押さえようとするけど、止まらない。
「なんだ?戦いの最中に発情しているのか?」
呆れたようにバアルが溜め息をついた。
「楽しめるかと思ったが…今度こそ終わりだな。二人仲良くあの世に行くがいい」
バアルがマイムールを僕らに向けた。
『バチバチバチ』
剣全体が眩しく輝く。
(「ごめん。村正」)
(「良いのじゃ。妾は主殿に満足しておる」)
剣先に雷が集まった。
「終わりだ」
ついに放たれようとした、その時、バアルの口から苦悶の声があがった。
「ぐっ、うおおおおっ」
(この声っ…)
それまでの声と違う…バアルの腕がマイムールを天井に向けた。
「なんだとっ?」
今度はバアルの驚いた声とともに雷が放射された。
『ドゴオオオオオッッッ』
雷は天井を吹き飛ばし、辺りがもうもうとホコリまみれとなる。
『パラパラ』
ぽっかり開いた天井から破片が落ちてきた。
「まだだっ、貴様に私の体は自由にはさせんっ」
(この声は…レヴァイン卿?)
「黙れっ、人間の分際でっ、この体は私の物だっ」
視界の悪い中でレヴァイン卿がバアルと言い争う声がする。そして、埃が収まると、黒い鎧を着た騎士が立っていた。
その顔は初老の男。
「レヴァイン…卿?」
「うっ、そこの娘っ、今しかないっ、私を斬ってくれっ」
僕は立ち上がって快感にふらつく体を奮い立たせてレヴァイン卿のもとに向かった。
「…私を殺せば依代(よりしろ)を失ったバアルは何も出来ず消える。さあ、早く殺るのだ」
「だっ、だけどっ」
(「主殿、そやつの言う通りじゃ。今が最後の機会ぞ」)
戸惑う僕に村正も後押しをする。
(確かにそうかもしれない…けど)
「早くっ、時間がないっ、……くっ、もういいっ」
レヴァイン卿が小さなナイフを取り出した。
「すまぬ。無理を言って悪かった。やはり、自らの過ちは自らの手で終わらせねばな…」
◇◇◇
『バタン』
まだ細かく震えているサラをソファに座らせる。
「うん、ここなら安全だろう。この部屋は要人警護のために王宮内でもしっかりした造りをしている。いいかい?私が出たら必ず鍵をかけておくように」
パーマーがそう言いながら窓の鍵をチェックする。
「あれ?」
その時ジョシュはサラの手からチェーンが伸びているのに気がついた。
「ねえ、サラ?それって…?」
サラも自分が握り締めていたことに初めて気が付いた。
「あっ」
手の中にあったのは銀色に鈍く輝くペンダントだった。
「へえ?サラがそんなのつけてるなんて知らなかったな」
「普段は直してあるんだけど、今日はお父様に会うから特別なの」
『パチン』
小さな金属音がしてペンダントを開くと中には椅子に座った女性と寄り添うように立つ男性、それに女性にじゃれる幼い少女の肖像が描かれていた。
「へえ、これってサラの家族?じゃあこの女の子がサラ?」
「うん。お母様が生きていた頃のものだけど。ほらっ、お父様は今は口髭を生やしていて…」
サラも幾分落ち着きを取り戻してジョシュに説明を始めた。
「よし、では私は行くよ。くれぐれも鍵を忘れないように」
パーマーもそれを見て、ひと安心したように席を立ったその時。
『ドゴオオオオン』
突然爆発音とともに王宮全体が揺れた。
「きゃあっ」
「うわあっ」
しゃがみこんでいると振動が止まった。
「二人とも怪我はないか?」
パーマーに二人は頷く。
『キン』
立ち上がったサラの胸元からペンダントが落ちた。
「あっ」
慌てて拾い上げる。
「チェーンが切れちゃった。でも…良かった。壊れてないわ」
サラが胸ポケットにペンダントを入れる。
「すまないが、私は行くよ」
パーマーが扉を開けた瞬間、遠くから声がした。
「うおおおおっ」
(間違いないっ、お父様の声だっ)
『ドゴオオオオオッッッ』
直後に爆発音がこだます。
「ジョシュっ、ちょっと待っててっ」
サラはソファから立ち上がると、パーマーの脇を抜けて廊下に飛び出した。
「ちょっ、サラっ」
「サラさんっ」
二人の声を無視してサラは王宮内を走る。
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