「ふふ、自己紹介をしておこうかしら?私はアスモデウス、色欲を司る悪魔よぉ」
二人のプレッシャーに挟まれた僕の背筋を汗が幾筋も落ちる。
「あらあら、そんな泣きそうな顔しちゃってぇ…」
気を抜いていたわけでもないのに、背後から急にアスモデウスの声がして飛び上がりそうになった。
「うふふふふ、可愛いわぁ。食べたくなっちゃう」
「くっ、いつの間にっ」
叫んで振り向きざまに抜刀した先にはアスモデウスがいない。
(速いっ)
「もぉっ、可愛すぎっ。でもぉ、注意力がおろそかになってるわよぉ」
今度は真横から腕が伸びてきた。
顎に指を当てて上を向かされる。
息のかかる距離で青いアイシャドウの下の真っ赤な瞳が光る。
さらにアイシャドウと同じく、真っ青な唇から舌を覗かせ、舌舐めずりをする。
「あぁぁ…いい…いいわよぉ…絶望した顔が…そそるわっ…だめ…それ以上そんな目で見ないでぇ…我慢出来なくなっちゃう…」
アスモデウスの顔が近づいてきたかと思うと、生暖かい舌に頬を伝う汗を舐めとられた。
「やっ、やめろっ」
「おいっ、アスモデウス、そいつは私の…」
放って置かれた格好となったバアルがアスモデウスに声をかけた。
「ねえ、バアル…アタシ、この子貰うことにしたわ…あなたは王女様も来たんだし、早く封印でもなんでも解いたらいいじゃない。うふふふ…ね、あなたはこれからアタシが可愛がってあ・げ・る」
「い…いやだ…」
(しっかり、しっかりしないとっ)
必死で自分を叱咤するけど、僕の言葉はほとんど声になっていなかった。
「だーめ。…安心して体を委ねていいのよ。ねっ、最初は優しくしてあげるからぁ」
顎を持ち上げていた指先が離れ、首筋を長く尖った爪の先がなぞる。
(あああ…)
「おいっ、そこまでだ」
その時、謁見の間の入口から声が響いた。
(だ…誰?)
首を曲げて見ると、涙に歪んだ視界に見覚えのある三人の姿が映った。
「全く…もう来ちゃったの?無粋ねぇ…」
アスモデウスもそれを見てため息をつくと、僕の首を撫でながらバアルを見た。
「バアル、マモンも呼びましょ?あいつなら戦いってだけで喜ぶわよっ」
「そうだな。記念すべき日は皆で味わうか」
三人が走ってくる。
「エヴァ、いや…アスモデウス、葵を離してもらおうか」
まず、ジルの声がした。
「嫌よ。この子はアタシの玩具にすることにしたんだから」
僕を抱き寄せようと伸ばしかけたアスモデウスの腕がピクッと何かに反応した。
『ヒュッ』
ラルフが高速でエヴァの後ろに回り込むと拳を放つ。
「やぁんッ」
エヴァが僕を置いて飛び退くと、急にエヴァのプレッシャーが消えて、体が崩れ落ちた。
『ポサ』
床に倒れるかと思ったけど、誰かに抱きとめられる。
「大丈夫か?」
ラルフの声がした。
「う…うん…ありがとう。危なかった…」
「エルザ様っ、エルザ様っ」
走り寄ってきたモニカさんがエルザを抱きしめ声をかけている。
「ふぅ…」
僕もようやく一息つくことができた。
「あれはバアル…なぜだ…マモンにアスモデウス、それにバアルまでもが現れるなど…」
普段は感情をほとんど出さないジルが黒騎士となったレヴァイン卿を見て驚きの声を上げた。
「葵、こいつは魔族の中でも最上位だ」
僕はジルの言葉に頷く。
「私も驚いたぞ。ヴァンパイアの始祖の血統が人の中に混じっているとはな。なるほど…マモンが欲しがるわけだ。ちょうどいい、今、マ…」
『ゴォンッ』
「むっ」
激しい音とともに天井から何かが落ちてきた。
「おおっ、お前たち、また会ったな。それに…バアル?その姿は久しいな」
天井を破壊して落ちて来たのは、以前ラウル将軍を殺し、その死体を愚弄したマモンだった。
「だが、もし俺を呼ばなかったら、バアル…俺がお前を殺すところだったぞ」
マモンの姿を見た途端、ジルの纏う空気が変わる。瞳が金色に輝き、唇の端から牙が伸びた。
「これはいいっ、面白いじゃないかっ」
マモンが高笑いをして三体の魔族が並んで僕ら三人と対峙した。
「ちょうど三人ずつになったわねぇ。私は…そうねぇ…女の子が良いなっ」
アスモデウスが僕を指差した、が、それを遮るようにラルフが僕の前に立つ。
「お前の相手は俺だ」
(ラルフ…?怒ってる?)
「もう、しょうがないわねぇ。ワンちゃんの躾をしたら…うふふ…待っててねっ、葵ちゃん」
アスモデウスが笑って僕にウインクをした。
「ラルフ君、気を付けろ。先程の分身とはレベルが違うぞ。感情のままに戦うな」
ジルがラルフに声をかけるのが聞こえただろうか。
天井に空いた穴にアスモデウスが飛ぶ。
「さあっ、俺の相手はどっちだ?」
マモンが待ちきれないのか、一歩踏み出した。
「どうやら、奴とは縁があるらしいな。すまない」
「うん」
ラウル将軍の件を考えたら、ジルの気持ちは分かる。僕は何も言わず頷いた。
「おおっ、ご指名かっ、今度こそお前をいただくぜっ」
マモンが嬉しそうに歯を見せた。
「葵、バアルは強い」
「大丈夫だよ」
僕は強がって見せた。
「すぐに戻る」
ジルが何かを呟くと二人の姿が黒い球体が現れ二人を包み込む。
そして球体が小さくなり二人の気配が消えた。
「では、結局私の相手はお前ということだな?」
バアルの声に振り返るといつの間にかエルザを玉座に座らせたバアルがニヤニヤとこちらを見ていた。
(モニカさんっ?)
エルザの介抱をしているはずのモニカさんが床に倒れていた。
「モニカさんっ、お前っ、エルザに何をする…」
バアルに向かって叫ぶ僕の後ろから影が飛んだ。
『ギィィィン』
激しく剣がぶつかり合って火花が散る。
(ゲッ、王様っ、何してるのっ?)
「ぬおおおおおっ」
王様の二の腕が大きく膨らんでバアルとの力比べが始まった。
「貴様がレヴァインでないなら…レヴァインを…何処へやった?」
「お前がこの国の王か…。奴なら私に体を奪われて泣き叫んでおるよ。クククッ」
バアルの目が少し真剣になる。
『ギリギリ』
すると拮抗していたように見えたバランスが明らかにバアルに傾いた。
「ぬうっ、おおおっ」
顔を真っ赤にして王様が耐える。
「王様っ」
明らかに劣性だ。このままでは押し負ける。
(どうするっ?)
僕が飛び出すタイミングを見計らっていたとき、一陣の風が僕の横を吹き抜けた。
『ギャンッ』
あっ、と思うと同時にバアルの上げた籠手に火花が散る。
(はっ、速いっ)
空中にテレサさんがいた。
「なかなか速い、それに上手く気配を消したものだな。だが、甘いっ」
バアルの拳がテレサさんに向かって放たれる。単なる拳とはいえ、当たれば骨くらい簡単に砕けるだろう。
(なっ)
テレサさんは空中でなんなくバアルの一撃を躱すと、一度杖を引き、今度は突く。
『ガッ』
喉を狙った一撃は紙一重で躱されたが、バアルの首に一筋の赤い線がついた。
(杖の先が刀…あれって仕込み杖だったのっ?)
「ぐっ、貴様らああっ」
怒りを露にしたバアルが王様と鍔迫り合いをしながらマイムールの力を解放した。
『バチバチバチ』
「うわっ」
雷が放射状に広がって王様とテレサさんが別々の向きに吹っ飛んだ。
『ゴオォォン』
そのまま王様は大公達の方へ、テレサさんは壁にぶつかる。
(テレサさんっ?あんな勢いでぶつかったら…)
『カラカラ』
小石が転がる音がして崩れた壁の瓦礫の中からテレサさんが起き上がった。
「貴様…何者だ?」
バアルがマイムールの剣先をテレサさんに向けた。
「後宮のメイド長さよ」
テレサさんがペッと血を吐いて答える。
「フフフ、クハハハハハッ、面白いっ、この国のメイドとは皆がこうなのか?」
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