「グアアアアアアア」
顔全体が兜に覆われているせいで表情は分からないけど、黒騎士が膝をついて苦しんでいるみたいだ。
(「村正?これって一体?」)
(「ふーむ…なにを苦しんでおるのかの?」)
目の前で起こっている事がよく理解できず僕らは様子を窺う。
すると、ふいにその呻き声が止まって黒騎士がゆっくりと顔を上げた。
黒騎士の表情は兜に隠れてやっぱり見えないものの、目だけが真っ赤に輝いているのが印象的だ。
(この目は…)
何かが頭の端をよぎった。
(それに…この圧倒的なプレッシャー…あっ)
もはや、みんなに説明している暇はなかった。
「皆っ、下がって」
王子たちが下がったのを確認した上で僕は黒騎士と向き合った。
目の前の黒騎士からレヴァイン卿とは異質な気配を感じる。
「ハア、ハア…クククッ…フハハハハハハハハハッ」
地の底から湧き上がるような笑い声に空気が震えた。
「……ふう…全く、人間というのは信用できんなあ。あれほど強かった悲しみ、怒り、怨みがこの程度で消えようとは…危うく間に合わぬ所だったぞ」
(レヴァイン卿とは声が違う…やっぱりっ)
「レヴァインっ、どうしたというのだっ?ぬっ、テレサっ、何をするっ」
そう言って前に出ようとした王様がテレサさんに引っ張られて無理矢理下がらされた。
(レヴァイン卿とは明らかに違う…こいつはレヴァイン卿じゃないっ)
「マモン…?」
無意識に僕が発した呟きに黒騎士が反応した。
「そこの娘、今、マモンと言ったな?……む?…そうか、さてはお前がマモンと戦ったとかいう人間か。なるほど、それであれば話は早い。お前は私の正体が分かっているはずだな」
黒騎士は言葉を発しているだけなのに、背中を冷たいものが流れる。
「魔族…」
「その通りだ。私の名はバアル。魔界の王よ」
黒騎士から発せられる圧力はさらに強くなった。とは言え、僕もマモンと戦った時のように我を失うようなことはない。
「ふむ。私を前にして立っていられるだけでも人間にしては十分強い。だが…お前程度では相手にならんな」
黒騎士バアルは僕の姿を上から下まで眺めて悠々と玉座に腰を掛けた。
「ふぅっ」
僕は息を吐くと体を低くする。
「そんなこと…やってみないと分からない…」
僕はジリジリと近づいた。
(「主殿…これはまずい…マモンとやらも強かったが、これは…」)
村正の声が聞こえる。
(分かってるよ、村正。だけど、どのみちこのままじゃ全滅だ)
相手は全身を鎧で覆っている。
(狙うなら…鎧の継ぎ目…)
僕はジリジリと近づき、あと数歩というところで止まる。
「ふぅっ、ふっ」
額に汗が浮かぶ。
黒騎士は黒い鞘から剣を抜くこともなくのんびりと僕を見ている。
(まだ、剣を抜かない…舐めているのか…だけど…それが命取りになるっ)
「ふっ」
小さく息を吐くと同時に僕は跳んだ。と同時にレヴァインの体に鎖を巻き付けるイメージ。
「ぬっ」
瞬間、鎖は引きちぎられる。
(くっ)
体に疼きが走る。だけど、レヴァインの動きがその一瞬分だけ遅れた。
(充分っ)
狙い通り、兜と鎧の隙間に村正が吸い込まれる。
(「おおっ、主殿っ」)
『ギャン』
(くっ)
しかし、首を飛ばすことはできなかった。刀身が兜の顎の部分で止められていた。
(このままっ)
力を込めるけど、まるで岩に向かっているように全く動かない。
「おおおおっ」
僕は柄を両手で持ってそのまま切り上げた。
『ガシャンッ』
兜が飛ぶ。
剣の柄にバアルの手がかかるのが視界の端に映る。
一気にプレッシャーが高まる。
(「主殿っ」)
(「分かってるっ」)
僕が後ろに飛び退くと同時に目の前を凄まじい剣圧が横切った。
切れた髪が数本舞う。
「やるではないかっ、まさかマイムールを抜くことになろうとは思わなんだぞ」
驚きもせず、むしろ嬉しそうに嗤うバアルの兜の中から現れた顔は初老の男の顔ではなかった。若々しい褐色の肌、まるで20年以上若返ったようだ。
(やはりっ、レヴァイン卿ではないのかっ…)
首を鳴らしてバアルが僕を見つめる。
「さあ、続けようっ」
バアルがマイムールと呼んだ剣の真っ黒な刀身がパチパチと雷が纏う。
(続けようって言ったって…今度はさっきみたいに不意討ちとはいかない…どうする?)
「来ないのならこちらから行くぞっ」
『バチバチバチッ』
レヴァインが剣を掲げると、激しい雷が剣を覆った。そして剣先が僕を向く。
(「いかんっ、主殿っ。躱すのじゃっ」)
村正の言葉に横に飛び退いた。
体の脇を強い力が通り過ぎる感覚。
『ガガァァァンッッ、ドゴォォンッ』
後ろを振り向くと謁見の間の入口どころか王宮の入口まで抜ける大きな穴があいていた。穴の横では大公達が腰が抜けたように座り込む。
(「うわっ、なんだこれ?」)
(「あの剣から雷が放射されたようじゃな。あれに当たれば一発で終わるぞえ」)
「さあ、来ないならもう一発行くぞっ」
(まずいっ、どうするっ?「村正っ?」)
僕が打つ手にこまねいている間にもマイムールに新たな雷が充填された。
「クハハハ…ん?」
バアルの手が止まり、刀身から雷も霧散する。
(どうしたんだ?)
『コツ、コツ』ハイヒールの音が背中から聞こえた。
(何だ…?)
「あらあら、ちょっと遅れたかしら?…って、ちょっとぉっ、バアルっ。何してくれてるわけぇ?」
先ほどの雷で開いた穴からのんびりした口調で登場したのはエヴァだった。
「私まで巻き添えになるとこだったわよっ、綺麗な格好が台無しじゃないっ」
スーツの肩が焦げて燻っているし、髪の毛も少し縮れている気がする。
「む…アスモデウスか…首尾は?」
「もぉっ、話を聞きなさいよぉっ」
少し拗ねたエヴァの隣に粘液まみれの大きな蛇のような触手が現れた。
「はい、どうぞっ。持ってきてあげたわよっ」
(?)
触手はエヴァに懐いているのか、寄り添うように体をくねらせた後、大きく口を開ける。
『ドサ』
「エルザっ?」
口から現れたのは粘液にまみれたエルザだった。
エルザは目を閉じて意識は失っているが、胸が小さく動いていることから命には別状なさそうだった。
「…やはり…」
シーレ卿の声。
(やはりって…?)
「ほう、王女とも知り合いとはますます面白いな。王女にはこれから封印を解く鍵となってもらう」
(封印?)
「こらあぁぁっ、貴様らあっっ、何を勝手ほざいておるかあああっ」
「おいっ、お前らっ、妹に何をするつもりだっ」
王様と王子も後ろから叫ぶ。テレサさんと大公達が慌てて二人の体を押さえた。
「ふむ。その反応からすると王子とそこなる娘は知らぬようだな」
(僕と王子は知らない…?)
「せっかくだから教えてやろう。この王宮の下に何があるか」
(確か魔力を消す装置じゃなかったっけ?)
「この国の地下には海を越えた国と同じものが封印しているのだ…と言うよりも二つは繋がっている、というのが正しいか。その封印が強すぎるために他の力まで制限されるのだ」
「海を越えた…って倭国?」
倭国の話が突然出てきて思わず聞き返した。
「そうだ。この地面の下は人間の持つ負の感情の貯蔵庫よ。封印を解けば、あらゆる負の力が鉄砲水のように吹き出て、この国は地獄となる」
(…倭国の災害も、同じってこと?)
脳裏に子供の時に見た父さんの厳しい顔が浮かぶ。
(ん?その封印を解く事とエルザに何の関係が…まさか…)
「理解したか?…封印を解く鍵は『王族の血を引く少女の命』なのだよ」
振り返ると大公達は俯き、王子は目を丸くして驚いていた。
「…そんなこと、させないっ」
(まずはエルザを奴らから離すっ)
僕はバアルを無視してエヴァに斬りかかった。
「あら?思い出したわ。あなた、アヴニールの…」
(まずは一人っ)
余りにも場違いな優雅な仕草でエヴァが手を上げると、エヴァの手にも黒い石が握られていた。
『ギャインッ』
「くっそぉっ」
(まずいっ、間に合わなかった)
村正を弾いたのは、一瞬早くエヴァの体に巻き付いた黒い紐。
(うぇ…これって…)
だけど近くでよく見ると、それは黒い紐ではなくて、黒くて細い触手が何本も絡み合って出来ていた。
(きっ、気持ち悪い…)
ニュルニュルと触手がさらに増えて、エヴァを覆い尽くし、その姿が完全に見えなくなった。
触手の繭の中からエヴァの荒い息遣いが聞こえてくる。
「うふふふ…んっ、やあんっ、あっ、あなた達っ、あっ、そんなとこまで…ああっ、入ってぇっ、ダメっ、はあんっ、深いっ、奥まで来てるぅっ」
場違いなエヴァの喘ぎ声がしばらく響いたかと思うと、触手が一本、また一本と離れていく。
そして徐々にエヴァの姿が露になった。身長が伸びて、レオタードのような服と翼を身にまとっていた。
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