サムライの息子

「お願いしますっ!!」

「よし、来いっ」

『ガッ、ガッ、カッ、ガンッ』

激しい音とともに木刀がぶつかり合う。

一人は壮年の男性、もう一人はまだあどけなさが残る子供。髪は長く瞳が大きい、一見すると少女のように見える。

『ゴッ』

子供の不用意な打ちこみを躱した男性が木刀を跳ね上げた。

宙を舞う子供の木刀。

「あっ」

子供が空中から目を戻した時、既に目の前には男性の木刀が突きつけられていた。

「これまで」

「あ…ありがとうございました」

子供が礼を言ってその日の鍛錬が終わる。

◇◇◇◇◇

(はあ、今日も父さんから一本取るどころか、まともに剣を合わせることもできなかった…)

鍛錬を終えた子供、御門葵(みかどあおい)は汗だくになった体を清めるために井戸の水を汲んでいた。

「アオイっ、修行終わったのか?」

「ジェイクっ」

井戸の脇の垣根の隙間から一人の少年が顔を出した。

「今終わったとこだよ」

木の戸を押してジェイクと呼ばれた少年が庭に入ってくる。
金髪碧眼の少年は黒髪の葵に比べると身長も高く幾分大人びた容姿だった。

ジェイクの前で葵はキモノと呼ばれるかつて東国のサムライが好んで着ていた服の上半身を脱いで汗に輝く体を拭いていた。

「そう言えば、お前、この間ディック達に絡まれてたって?」

「うん。あいつらが僕のことを女みたいだって」

ジェイクの前で葵の後ろで一つに束ねられた髪が揺れる。まだ十歳に満たない葵は年相応に無邪気で無警戒だ。
自分と同じように外で遊んでいるにも関わらず日焼けしない真っ白な肌はきめ細やかでうなじから背中のラインは見ているとなんだかいけないものを見ているような、そんな気になってしまう。
そんなわけで、ジェイクはこの年下の友達が男だとは分かった今でも直視するのが憚られるのだった。

「いい加減お前も怒らないといつまでも続くぜ、せっかく剣術を修行してるのに」

「いいんだよ。この剣は人のために使えって、父さんに言われてるから…」

「アオイは変なところで真面目だからなぁ。まあいいや、今日も森に行こうぜ。岩の間に新しい隠れ家を見つけたんだっ」

「うんっ」

体を拭き終えた葵はジェイクとともに森に向かって走っていった。

その姿を微笑ましく眺めていた父にどこからともなく現れた男が話しかけた。

「政信様、奥方様と姫の行方がわかりました」

「まことかっ」

「はい。……」

◆◆◆◆◆

ジェイクは漁師である父と二人で暮らしていた。
幼い時に亡くした母親の記憶は残っていない。
そんな彼が8歳になったとき、それまで空家だった隣に突然人が住み始めた。

「ジェイクっ」

「なんだい、父ちゃん」

「いいか、ジェイク、今日から隣にミカドさんが引っ越してくることになった。お前より年下らしいが、アオイ君っていう男の子もいる。ミカドさんとこもお母さんがいないらしいから仲良くするんだぞ」

「あいよ」

ジェイクはそれまで母親がいないことに対して特に悩んだことはなかったが、弟のようなものができるのかと思うとワクワクしてその晩はなかなか寝付けなかった。

そして翌朝早く目を覚ましてワクワクしながら庭に出たジェイクだったが、隣の家との垣根の隙間から見えたのは泣いている一人の女の子だった。

(あれ?確か男の子じゃ…何がアオイ君だよ。父ちゃん嘘ついたな)

そう思ったが目を離すこともできずしばらく見ていると少女が視線を感じたのか、顔を上げてジェイクと目があった。
白い肌、黒い髪に黒く大きな瞳。髪が腰のあたりまで伸びている。

ジェイクの遊び友達の中には女の子もいたが、この少女はまったく別の存在だった。

(お姫さま…)

その時、思いがけず見つめ合うこととなってしまっていることに気がついた。

(なっ、何か言わないとっ)

ジェイクはなんとか口を開いた。

「えっと…いや、あの…オレっ、隣に住んでるジェイクって言うんだっ、よろしくなっ」

顔が真っ赤になっているのに自分で気づいてますます顔が熱くなる。
だが、勇気を出して声をかけたジェイクに、少女は驚いたように家の中に入ってしまった。

(うわあ、嫌われたかなあ?どうしよう…)

そう思ってしばらくその場で呆然としたジェイク。その日の夜も昨夜とは違った意味で、眠れぬ夜を過ごすこととなった。

そして翌日、再び庭伝いに隣の家を見ていると、昨日の少女が出てきた。木刀を持っている。

ジェイクは思わず隠れてしまった。

(なんでオレ隠れてんだよぉ…)

悩んでいる間に木刀を振り始めた少女。ジェイクはしばらく隠れて見ていたが、いつまで経っても終わる気配を見せない。
かといって家に戻る気にもならず、素振りの回数を数えながら昨日のことを謝る機会を待つことにした。

暇つぶしに数えること100回になろうとしたところで、扉が開いて父親らしき人が現れた。

その前で木刀を降る少女。

「駄目だ、型がめちゃくちゃだ。それでは何度振ろうと意味がない。今日はここまでにしなさい」

しばらくそれを見ていた父親が無情に告げた。少女が昨日と同じように泣きそうな顔になる。

オレは思わず庭に転がるように飛び出していた。

「おいっ、そんなふうに言うことないだろっ、今日だって100回も振ってたんだぞっ」

父親がじっとオレを見る。

(うわあ…どうしよぉ…)

怒られるかと思って緊張するオレに向かって父親が笑顔になった。

「はっはっはっ、優しいな。それに勇気もある。あっ、ひょっとしてジェイク君かな?」

なんて言っていいか分からず頷くオレに父親が少女の頭を撫でながらオレに頭を下げた。

「葵をよろしく頼むよ、ほら、葵、お前も男の子なんだから挨拶くらいしなさい」

(え…今何て…?)

「あ、あの…葵です。よろしくお願いします」

「あっ、ああ…」

(…男の子)

その日オレは一人の友達ができて、初恋が終わりを告げた。

◆◆◆◆◆

大陸アトランティス。

この大陸には太古の昔から様々な種族の生き物が暮らしている。

人間、動物、それに魔物と人間が呼ぶ生き物たち。

人間はそれらの生き物と争いながら生きてきた。

単純な力で劣る人間は剣を手に、自然の力や神の力など、あらゆるものを使って強大な魔物と戦う力を得てきた。

◇◇◇◇◇

葵の父親はアトランティス大陸の東の果て、海を越えたところにある大和の国の王の一族だった。

かつて大和は武士道という高潔な精神を持った国で、巫女でもある一人の女王のもとに力ある侍が集い、平和な国を作っていた。

土地は肥え、自然も鉱山資源も豊富な国で他の国からは憧憬と垂涎の的であった。

ところが10年前に魔物の襲撃を受けて大和は壊滅した。

魔物がどこから現れたのか、なぜ現れたのかは大和のみぞ知る。国交はなくなり、大和の現状を知ることができるのは隣国アトランティス王国でも上層部だけとなっている。

また、大和が魔物を大量発生させた国としてを非難を浴びているかといえばそういうこともなかった。それは、魔物が大和から周辺国にはほとんど来ないからだ。

侍達が命を賭して多くの強大な魔物を倒したからだという噂もあれば島国だからという噂もあるがこれも一般には確かなことは分かっていない。

貿易や経済面でも、壊滅する前の大和は鎖国をしており、その一番近くの大陸、アトランティスとのみ交易があるのみだったためほとんど周辺国に影響がなかったことも挙げられるだろう。

突然の魔物の大量発生、偶然このアトランティス大陸に公務で来ていた葵と父親は難を逃れた。

そして今、父子はアトランティス大陸の最も東の町、ケルネで暮らしている。

父、政信はアトランティスの王からも高待遇での出仕を求められていたが、それを断り、この小さな町でごくまれに海を渡ってくる魔物や周辺に現れる魔物や盗賊を退治して質素に暮らしていた。

息子である葵は5歳の時からこの街に住み始め、それから5年経ったが、町の人にも愛されている。一人の父親としては息子にはこのままここで幸せに暮らしていってほしいという思いも生まれていた。

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