(朝から色々片付けて…ふぅ…へんに疲れた…)
これまで千手丸は生理が無かったらしい。男装をして、男の振りをしてきたためもあって、精神的なものかもしれないけど、三郎との行為を考えるとむしろそれが幸いしていた。
(けど、これからは…)
三郎に伝えるべきかどうか悩む。
(言ったところで、嬉々として中出しをしてくるだろうし、言わなくても中出ししてくるだろうし…)
どうするか悩んでいるうちに城に着いた。
そして、すぐに僕は父上の寝所に案内された。
(寝所…か。父上の体は思った以上に悪いのか…?)
たしか千手丸が街で買った薬で小康状態になっていたはずだけど。
「父上、千手丸です」
襖の手前で声をかけると、中から父上が入るように言う。
「よくぞ無事で戻ってきた」
手で近くに寄るように私を呼ぶ。
布団の脇に座ると、父上の背中に手を当て、起き上がるのを手伝った。
「はっ、ありがとうございます」
手で感じる父上の体は思った以上に痩せてしまっていた。
(これほどとは…)
だけど、そんな顔を見せるわけにはいかない。
「どこの手のものかわからぬままとなってしまい、申し訳ございません」
頭を下げる私に父上は首を振った。
「いや、お前が無事なのが一番だ。芦屋道綱の手のものに間違いないだろう。まさかお前が狙われるとは思いもよらなんだがな」
父上は芦屋道綱に間違いないと考えているようだったが、三郎が何も知らないのが気にかかる。
「芦屋三郎に探りを入れてみましたが、何も知らぬようでした」
「ああ、芦屋の三男坊か…ふむ…何も知らされてはおるまい。奴はそういう男よ」
それにしても、と父上が私をじっと見つめた。
「千手丸、しばらく会わぬ間に、母に似てきたな…」
その言葉に千手丸の心臓がドクンっと大きく打った。
「そ、そのようなことは…っ」
「いや、良いのだ。そもそもお前を男として育てた私を許してほしい。本当ならば母そっくりの美姫としてこの国中に知れ渡っていただろうに…すまぬ。お前の母にも詫びたいが…」
体だけでなく、精神的にも弱くなっているのか、父上の言葉に言いようもない不安を感じた僕は言葉を遮った。
「父上!!私は自分の境遇を不憫などと考えたことはございません!!土御門家を、ひいてはこの国を平らかにすることが私の願いなのです!!」
父上の目が再び私を見据える。
その目には先ほどまであった弱さが消え、強い力を宿していた。
「そうか…では、ちと早いが、お前に伝えておこう」
父上は僕の手を借りずにそのまま立ち上がった。
「以前、お前とともに穢れを祓いに行ったのを覚えておるな?土御門家に伝わっている祓いの儀式をここでお前に教える。しかと覚えよ」
そして、父上手づから千手丸にその儀式が伝授されたのだった。
◇◇◇
「ふう…もう夕方になっちゃったな…」
僕は橙色の空を見ながら街の外れに向かっていた。
今日は村正から刀を受け取る日だった。
先ほどまでの緊張から、少し疲れているものの、千手丸が楽しみにしていたこともあって城からの帰りにそのまま村正のもとに向かったのだった。
戸を叩くと、紫苑が迎え入れてくれた。
「すまぬ。急用があって遅くなってしまった。村正殿はおられるか?」
「はい、こちらでお待ちください。呼んできますので」
それからすぐに村正殿が一振りの刀を手に現れた。
「千手丸様、御足労をおかけして申し訳ありません」
顔が明らかにやつれているのを千手丸は見逃さなかった。
「村正殿、お疲れでしたら明日でも良かったのですが…」
「いえ、ぜひ早くにお渡ししたかったものですから!!さあ、どうぞ、こちらです!!」
爛々と輝いた眼はどこか狂気を孕んでいるようにも見える。
僕は刀袋の紐をほどいて、鞘に包まれた刀を出した。
螺鈿細工の漆塗りの鞘に、深い赤色の柄巻の美しい拵(こしらえ)で、そのままでも十分に美しい。
そして、村正から少し離れて抜いてみると、波のような刃文のどこか妖しい美しさがあった。
(村正…だよね?これ…だけど、見た目はこっちの方が立派だなあ…)
僕の村正は赤い柄巻こそ同じだけど、ちょこちょこ黒くて不気味なんだよね。それに、鞘もこんな工芸品みたいなものではなくて、白木鞘だけど、なんか全体的に黒くて、やっぱり不気味。
千手丸は心の底から感動して、完全に我を失っていた。
「どう、ですか?」
村正は僕の様子を窺っている。
「いや…言葉もない。これは…素晴らしい…本当に素晴らしいです!!」
千手丸の感動を伝えると、村正はほっとしたように頷いて、そのままひっくり返ってしまった。
「ちょっ!!村正!?」
隣にいた菖蒲に引きずられてそのまま村正は退室。また来ることを約束だけして、紫苑に見送られながら僕は刀とともに家に戻ることとなってしまった。
◇◇◇
「…菖蒲…紫苑…」
「はい」「何よ?寝てなさいよ!!」
「昨日、千手丸殿が狙われたらしい」
菖蒲が胡散臭そうな目で村正を見る。
「そんなのどこで聞いてきたのよ?」
「今朝、顔を洗いに外へ出た時に蜆売りから聞いた。…私は狙われているわけではない。千手丸殿を守ってくれないか?」
◆◆◆
「失敗しただと?」
空の盃が投げつけられて、男の頬を掠める。
「申し訳ございませぬ。侮ったわけではございませぬが、予想以上の手練れだったようで…」
「言い訳などいらぬわ!!」
芦屋道綱は目を血走らせて目の前の男を怒鳴りつけた。
男の名は、木猿。芦屋家に代々雇われている忍一族の頭領である。
道綱の命により、千手丸を亡き者とするはずだった。
「ぐぬぬぬ…」
さきほどから顔色一つ変えない木猿の様子は道綱の怒りにさらに油を注ぐ。
「木猿よ!!それではこの失態、どのように挽回するつもりぞ!!」
「はっ、もう一度機会を与えていただけるのであれば、里の者の中でも最も優秀な者を手配いたします」
木猿はそう言いながら、最も優秀な者を頭の中で思い浮かべると気が重くなる。
(あ奴らを向かわせればどのようなことになるか…)
「ふむ…最も優秀な者のお…次がないことをゆめゆめ忘れぬことだ。…だが、それだけでこの失態の帳消しにはならんな。そうじゃ、木猿、貴様には年頃の孫がおったはずじゃな」
道綱の顔が好色そうに歪む。
「娘を差し出せ。そして千手丸を殺せばこの失態を帳消しにしてやろう」
道綱は手だけで消えろ、と合図を行ったため、木猿にはそれ以上何もできなかった。
「おかえりなさいませ、お爺様」
木猿が里に戻ると、今、最も顔を合わせづらい者に出迎えられた。
「うむ」
桶と手拭いが用意され、足を拭うと木猿は家に上がった。
「お爺様、暑かったでしょう?冷たい水はいかがですか?」
木猿は道綱の前で見せた様子とは正反対の好々爺といった顔で孫娘である蛍を見る。
「蛍、お前はいくつになった?」
身内びいきと思わないでもないが、蛍はこの里一番の器量良しだ。この子が幼い頃に亡くなった母を思い出させる切れ長の目にぷっくりとした唇。目元の黒子といい、もう数年もすれば美少女から美女に羽化することだろう。
「もう、お爺様。お忘れですか?つい先日十六になりましたよ」
ふわっと微笑む蛍の笑顔に木猿は一瞬悩んだ。
「そうか…お前も十六…か…好いた男などおらぬのか?」
「ど、どどどどうしたのですか?」
分かりやすく動揺する蛍は歳相応で可愛らしい。そして、木猿は知っていた。
(幹太じゃな…)
蛍とは遠縁にあたる同い年の少年。噂では少々気の弱いところもあるが、性格もよいとのことだった。父母を失ったばかりであるにもかかわらず気丈に振舞う健気な蛍とは似合いであるだろう。
二人が祝言をあげる姿が瞼の裏に映る。
(じゃが…これも里の者のため…)
「ふう…」
大きくため息をついた後に、木猿は己の前に蛍を座らせた。
翌日。
木猿の前で三人の男が酒を飲んでいた。
「爺!!テメエ、オレ達を牢にぶち込んだ落とし前、どうつけてくれんだ?アア?」
男の一人、片目に切り傷を持つ大男が木猿を睨みつける。
一触即発の空気を止めたのは甲高い笑い声だった。
「クヒヒヒ、虎さん、落ち着くといいと思うよ」
邪魔するな、とでも言いたげに虎と呼ばれた男が睨む。
先ほどの甲高い声の主が今度は木猿に話しかけた。
「ところでぇ?木猿さんさぁ、大事な大事な息子さんがいないように思うんだけどぉ?」
顔色の悪い痩せた男に木猿から殺気が飛んだ。
「アア?ヤルってか!!」
虎が獰猛に笑う。
「まあまあ、虎も蛇もその辺にしとこうや。俺達のことを大嫌いな爺さんが牢から俺達を出したんだ、殺す前に話くらい聞いてあげようよ?」
「ん~、狸さんがそう言うんならしょうがないから聞いてあげる」「爺い!!旦那に感謝しろよ!!」
それまで口を閉じたまま酒を飲んでいた男の言葉でようやく二人が黙った。
「お前達、鵺にやってもらいたい仕事がある」
虎と蛇が「クヒヒヒ!!仕事ぉ?」「殺しか!?殺しだな?」とはしゃぐのを尻目に狸と呼ばれた男は木猿を見る。
「もちろん対価はあるんだろうね?」
虎と蛇の「おっと、そうだった!!オレたちは安い仕事は受けねえぞ!!」「さっすが狸さん、大事なところ分かってるぅ!!」というにぎやかしを無視して木猿が狸の方を向いた。
「金でも女でも好きなだけやる」
にぎやかしの二人が「好きなだけだってよぉぉ!!」とはしゃぐのとは対照的に、狸は静かに盃に酒を注いだ。
「ふーん…まあ、次期木猿がしくじる相手だ。そうなるよな」
目の下の隈が特徴的な狸と呼ばれた男は、酒に指を浸してペロッと舐めた。
「こっちからの条件は一つだけだ。俺たちの好きにさせろ」
木猿は眉間に皺をよせた。
「それがだめなら…」「いや、いいだろう」
狸の言葉を途中で切って木猿が続ける。
「その代わり、一人、連絡役をつけるがいいな?」
と、その時、土間の方から大きな足音が響いた。
「んだあ!?」
虎が立ち上がる。
部屋に向かって近づいてくる足音。
そして、襖が開いた瞬間、飛び込んできた者は虎に倒されて腕を極められていた。
「いった…ぐっ!!はっ、放せっ!!」
虎の下にいるのは一人の少年だった。
「アアン?テメエ!!殺すぞ?旦那ぁ、殺していいか?」
狸が木猿を見る。
「頼む」
「虎、やめときな。殺しならこれからいくらでもできるからね」
虎が手を離すと、少年は立ち上がって木猿の前で床に頭をつけた。
「木猿様!!お願いがあってきました!!」
何か言おうとする虎を制する狸。蛇は面白そうに目を輝かせて少年を見ていた。
「蛍が、芦屋様のところに行くと聞きました!!」
ほう、と狸が目を細める。
「うむ…仕方ないのだ。昨夜あの子にも説明し、覚悟を決めてくれた様じゃが…」
「この間の件が失敗したせいだと聞きました!!それでもう一度暗殺の機会があると!!」
「…」
「俺を、その中に入れてください!!」
少年が顔をあげる。
(あまりに若い…)
木猿はその目の中に幼さ特有の無限の未来に対する希望と傲慢さを見た。
「幹太、蛍とどのようなことを話したのかは知らぬ、だが「いいよ」」
諦めさせようとする木猿の声を遮ったのは狸だった。
「爺さん、条件に一つ追加させてもらうよ。この坊主も連絡係として参加だ」
「「ええ!?」」
虎と蛇が目を丸くする。
「そのようなこと!!」
木猿ももちろん反対するが、
「お願いいたします!!」
額を床に擦りつける幹太に狸がニタリと笑った。
「なあ、爺さん、若い者がこう言ってるんだ。いいじゃないか、見守るのも年上の務めじゃないかね?」
「貴様…」
「なあに、悪いようにはしねえよ。許可すれば俺達は動くし、許可しねえんなら…」
狸は虎と蛇に目配せする。
「お前ら二人とも殺してこの里を食い荒らすだけだ」
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