アヴニール強襲

雪山であんなことやこんなことになってからさらに2ヶ月ほど経った。
冬の寒さも和らぎ野山が春めいてきたある日、一人の騎士の報告で王都アトラスの王宮に激震が走った。

緊急事態ゆえに王都にいた貴族が王宮に全員集められた。

「そんな馬鹿なっ?」「いや、あそこは第二近衛兵団が守っているはずであろうっ?まさか第二近衛兵団が破られたというのかっ?」

騎士の報告を聞き、居並ぶ貴族たちが声を荒げて口から唾を飛ばす。

「第二近衛兵団は壊滅。ラウル将軍は戦死…致しましたっ!」

騎士が震える声で報告した。

「まさかっ!?あのラウル将軍がやられるはずがなかろうっ、王の牙と呼ばれた男だぞっ!」

五大公の一人で、現在宰相を勤めるウォルトン卿のまるで叱責するような口調に、報告した騎士が真っ青な顔になって俯く。居並ぶ貴族たちが口々に不安を口にして再びざわめく王の謁見の間。

「皆様方、落ち着かれよ」

その時、低い声が場に響き渡った。

その声の主は浅黒い肌に顎鬚をたくわえた壮年のレヴァイン伯爵だった。

「レヴァイン卿!なにを悠長なことを言っておるのだっ!」「我が跡取りがあそこにはおるのだぞっ!」「早く手を打たねば、何かあったとき誰が責任を取るというのかっ!」

なおも言い募る貴族たちにレヴァイン卿が一喝した。

「皆様方の御子息、御息女、親類縁者が学院にいることは知っておるっ!私の娘も学院におるのだっ!」

興奮した貴族達が押し黙ったところで、再び落ち着いた声でレヴァイン卿が話し始める。

「我々がここで慌てたところで状況は変わりませぬ。王が病に倒れられている今、我々と王子でこの難局を打開せねばならぬのですぞ!」

空席になっている玉座を見上げてレヴァインが集まった貴族を見回し、穏やかに語りかけた。王はひと月ほど前から謎の病に倒れていた。

「そ、そうであったな。むっ、王子はどこにいらっしゃるのだ?」

一人の貴族がそう言って、王子付きのメイドが呼ばれたが、王子は外出中で王宮内にはいないとのことだった。

「くっ、この大切な時に…」「全く…先が思いやられるわっ!」

貴族たちの様子を見ていたレヴァイン卿が顎鬚を触りながら、報告の騎士を見た。

「王子のことはひとまず置いておくことにして、今は緊急事態ゆえ、先に話を聞こうではないか。王子にはのちのち報告すればよかろう。さて、…そう言えば名前を聞いていなかったな」

「はっ、ラウル将軍の従者、アントニオと申します」

「うむ。ではアントニオ、最初から全て話してくれ」

◇◇◇◇◇

王立学院アヴニール。

それはアトランティスの王都アトラスの近郊のエリート養成のための学院。早ければ12歳から入学して18歳までの男女が学んでいる。

多数の貴族や王族、さらに、実力次第では平民でも入学することができ、ここを優秀な成績で卒業したものは王国内での将来が約束され、輝かしい未来が待っている。

また、この学院は実力主義のために、それぞれの実家の権力が働かないよう王都から馬車で一日ほどの場所に建てられていた。さらに、学生は全員寮に入り、基本的には1年に2度の長期休暇を除くと、学院を出ることはできない。

しかし、同時に学院には高位の貴族の子弟が多く住むこともあり、何かが起こると重大な政治的問題へと発展しかねないため、常に二つの近衛兵団が交代で学院の敷地の外で護衛にあたっていた。

異変に気がついたのは深夜、眠っていた兵士たちだった。

地鳴りのような音が耳元で聞こえて目を覚ましたのだ。

「…ん?なんだ?」「どこから聞こえる?」「おいっ、うるさいぞっ!」「ん?地面から何か聞こえるぞ」

そして、この音が近づく魔物たちの足音からくる地鳴りだと気がついたときには、かなり近くまで魔物の接近を許してしまっていた。

『カンッ!カンッ!カンッ!カンッ!』

激しく鐘が叩かれて戦闘準備についた兵士達だったが、深夜で視界の悪い中、統率のとられた魔物たちの攻撃を前にして、一人、また一人と倒れていった。

「お前たち、ここを突破されれば王都までは目と鼻の先だっ!家族を守るためにもここで食い止めるのだっ!」

他の軍であれば総崩れになってもおかしくない状況を持ちこたえさせていたのはラウル将軍と、彼に日頃から鍛えられてきた兵士たちだった。

兵が投げた松明が枯れ草に燃え広がって、その赤い光がラウルの瞳に点々と映っている。

「アントニオ、夜明けまではあと何時間だ?」

ラウルは従者に確認をした。

「あっ!えぇっと、…残り…4時間ほどです!」

アントニオは震える声で将軍に答えた。今にも恐怖で崩れ落ちそうなアントニオの体をなんとか立たせているのはラウル将軍の存在だけだった。

「左舷第三騎馬隊、全滅ですっ!」「右舷第四歩兵隊、ダニ隊長戦死しましたっ!」「救援要請!左舷第二歩兵隊が押し込められています!」

その間にも新たな損害がどんどん報告され、ラウルがそれに対処していく。

(このままでは朝を迎える前に全滅するな)

ラウルは考える。

(なぜ、魔物がこれほど統率されているのだ?奴らはどこから来たのか?もし、これほどの魔物の大量発生があれば斥候から連絡が来ていたはず。いや…考えても仕方ないことか…まずはこの状況をどうするかだな…)

「現在戦える隊はっ?」

ラウルが参謀であるエンリケに問う。

「はっ、第一近衛隊、第一騎馬隊、第四騎馬隊、第一歩兵隊、第二歩兵隊、第四歩兵隊…」

普段は冷たい印象で隊の面々から恐れられている参謀が今は頼もしい。

「うむ…このままでは朝までもつまい」

ラウルの言葉を否定できず、エンリケは唇を噛んだ。

(ほう、エンリケが感情を出すとは珍しいこともあるものだ)

ラウルは心を落ち着けると、自身の鍛え上げた最強の兵である近衛隊を前に作戦を告げた。

「我々第二近衛兵団はもともと王を守るために存在する。ここで奴らを止めねば、王都は陥落する。皆のもの、奴らの将を倒し、王を守るのだっ!我らが一点突破でこの魔物の軍を率いている将を倒すっ!」

「「「「おうっ!」」」」

ラウルの呼びかけに近衛隊が応える。

「各隊に伝令!それまで各隊を持ちこたえさせるのだ!」

「はいっ!」

伝令が走る。その姿にはもはや恐怖も動揺もない。

「行くぞっ!!」「「「おう!!!」」」

ラウル将軍以下近衛隊90名の騎馬が戦場に飛び出した。

オークやゴブリンを蹴散らしながらラウル将軍が敵陣を切り裂いていく。

「うおぉぉっ!将軍だっ!敵を蹴散らしているぞ。まだいけるっ!皆突っ込めっっ!!」

将軍の姿を見た兵たちの士気は高まり、その声は波のように全軍に広まった。その結果、再び兵たちの士気の高まりとともに魔物を押し返し始めた。

(よしっ)

ラウルがそう思ったのも束の間、彼は自分の目を疑った。

炎で一帯が赤く染まる中、先を行った彼の信頼する近衛隊が無残にも肉塊に変わっていたのだった。

(このようなことが…)

「うう…ラウル…様…お逃げくださ…い…あれは…我々には…」

まだ息のあった隊員がかろうじてそれだけ言うと崩れ落ちた。

「お前たちだけを死なすわけにはいかんよ」

既に事切れた兵にそう言ってラウルは怯える馬を前に向けた。

「ククク…ラウル将軍か?」

目の前で一人の騎士の腹から鎧を突き破って腕が出ている。

「将…軍…お逃げ…くだ…」

(人型…魔族か)

魔族が手を引き抜くと騎士が崩れ落ちた。

一見すると普通の人間だが、その目は赤く光り、頭からは山羊のような角が生えている事から明らかに魔族であることが分かる。
しかし不思議なことに魔族を前にしてラウル既視感を覚えていた。

(む…、この顔…どこかで…)

「ラウル将軍か?ここまで来るとはさすがと言っておこうか。」

「お前は…なぜ私を知っている?」

「王国一の剣の使い手だろう?ぜひ欲しかった駒だからな」

「何を馬鹿なっ」

「馬鹿ではない。ククク、では頂く事にするか」

その時、不意にラウルの脳裏に魔族の顔と記憶の中の一人の人間の顔が一致した。

「お前は…まさか!?」

「ほう、私の顔を知っているとはな。そう言えばラウル将軍といえば、街にもよく出てくると聞いたことがある。やはりここで死んでもらうしかなくなったな」

「俺を舐めるなっ、死ぬのは貴様の方だっ」

◇◇◇◇◇

「むっ、それで?」

レヴァイン卿が報告を促す。

「ラウル将軍は敵将軍との戦いで戦死、その後、近衛兵団は総崩れとなりました」

「その敵将とは何だ?」

レヴァイン卿の質問は多くの貴族も気になるところだった。ラウル将軍とその手勢である第二近衛兵団を破る者など想像できないからだ。

だが、アントニオからは満足する答えは得られなかった。

「そこまでは…私は王都への報告を任され遠目から見ることしか出来ず…」

報告するアントニオの口から嗚咽が漏れる。

「そうか。ラウル将軍は信頼するアントニオ殿だからこそ任せられたのだ。恥じる事も悔いる事もない」

レヴァインの言葉がアントニオの胸を打つ。

「もったいないお言葉でございます」

「しかし、総崩れになったわりに、王都に来ないのはどういうわけだ?」

「はい、その後敵はアヴニールを攻めており、現在アヴニールは籠城中です」

「なるほど…まだアヴニールは陥落しておらないのだな?」

「はっ」

貴族たちの間から安堵のため息が漏れた。労いの言葉を受けてアントニオは退出した。

「さて、あとどれくらい持つ?」

レヴァインが今度は後ろに控えていた官吏に向けて質問をした。

「食料の備蓄などから計算しますと、一週間程度、とのことです」

この言葉で再び場の緊張が高まった。

「今、動かせる兵はどれほどだっ?」

貴族の中から質問がとぶ。

「一週間以内にアヴニールに向かえる軍は休暇中の第一から第三連隊1500です」

「なんだとっ?第一軍団は何をしておるのだ?」

貴族の一人が官吏に食ってかかった。

「第一軍団は北の守りに遠征中、第二軍団と第一師団は西で演習中、第二師団は東の森の大規模な魔物討伐に向かっており、今すぐ引き返しても間に合いません」

「ラウル将軍の近衛兵団1000で勝てないのであれば連隊1500だけでは勝てぬな」

「第二近衛兵団も向かわせてはどうだろう?」

貴族の一人がレヴァイン将軍の言葉を聞き提案する。

「それはいかん、第二近衛兵団は王を守る最後の砦だぞ!」

別の貴族が反対する。

「この際、ハンターギルドに討伐依頼を出してみてはどうかな?」

レヴァイン卿の言葉に場が一瞬止まった。

「レヴァイン卿、冗談を言っておる場合ではないのだぞっ、あのような者共に何ができるというのだっ!」「高額を請求されるだけで、成功するかどうかなどわからんのだぞっ!」

「いや、レヴァイン卿のおっしゃることは一理あります」

反対意見が山のように出る中、一人の若い貴族がレヴァイン卿に同意した。

ここまで何も言わず状況を見てきたパーマー伯爵だった。

「若造が何を言うっ!」

白髪の貴族が声を荒らげた。

しかし、年配の貴族の叱責にも似た声に動じることなく、年若いパーカー卿が落ちついた声で話す。

「このままではアヴニールが陥落するのは時間の問題。救援に行こうにも間に合わない。皆様方、大切なご子弟、ご息女がオークに蹂躙されてもよろしいのか?」

「ううっ」

鼻息の荒い貴族たちが黙り込む。

「何も、全滅させろというわけではなく、敵の将だけを倒させれば良いのではないでしょうか?そうすればあとは烏合の衆でしょう。連隊だけでも十分対処できるかと」

集まった貴族の中でも多くの者が頷いていた。

「それだけでは足りんな。私の私兵100を出そう」

レヴァイン卿が言い出すと我も我もと言い出し、結局貴族の私兵2000と連隊1500、総勢3500の軍が急遽編成された。

そして、その後直ぐにハンターギルドに緊急の依頼が届けられた。