旅立ちの決意

セピア色の世界。
ここは町長さんの家だ。まるで現実感がない。町長さんはベッドに横たわっている。
僕は必死に話しかけるけどその目は開かない。分かっている、どれだけ話しかけてももう……

「町長さん……」

涙が頬を伝って、その熱さで目が覚めた。

「ここ…は?」

周りは明るく、そしてふかふかしていて暖かい。

「ん…」

(きもちいいな…)

さわさわと撫でる。柔らかい毛の感触。

(…………毛?)

ゆっくりと目を開けると銀色に輝く美しい毛並みが視界いっぱいに広がる。

「…んん?」

横たわっていたのは、昨日死闘を繰り広げた相手。銀の瞳が僕を見つめていた。

「…あ…れ?」

急速に意識が目覚めて、脳裡に昨夜の狼たちとの戦いが、そして、銀狼との命をかけたやりとりが蘇った。

「うわぁっっっ‼」

僕は飛び起きると同時に村正を抜き放った。

「このおっ!」

刃を向けているにもかかわらず、銀狼は全く動かない。そして、村正の輝く刀身が無抵抗な銀狼に吸い込まれていった。

「よくも町長さんをっ!」

僕はさらに刃を押し込んだ。村正の刃を伝って銀狼の血が流れ落ちる。

突き刺しているのは銀狼の胸の辺りだ。もう一押しするだけで命を奪うことになるだろう。それなのに銀狼は身じろぎ一つしない。

(…どういうつもりだ!?)

警戒しながら見上げた僕の前にあったのは、澄んだ瞳だった。

「…コロストイイ」

「え?」

「オマエガ、コロシタイノナラ、ウケイレヨウ」

その瞳は騙したり、何かをたくらんでいるようなものではない。
全く理解できないけど、覚悟のようなものも見える。そしてそれが分かって、僕の心の中にあった怒りの炎が小さくなった。

「どういうつもりだよ?」

(「主殿、どうやら銀狼は何も知らなかったようぞ」)

「えっ⁉」

村正の予想外の言葉に思わず驚きの声が口から飛び出す。

「お前がやらせたんじゃなかったのか⁉」

「ウム、ワレハ、マチヲ、オソワセテハ、イナイ」

詳しく聞いてみると、どうやら一部の眷属が勝手に動いていたらしい。
そして、僕が眠っている間に銀狼が始末したが、狂暴化しており、話を聞こうにも意思疎通すら出来なかった、と銀狼は続けた。(ちなみに意識のあった村正はその様子を見ていたらしい。)

「ダガ、ワガ、ケンゾクガ、ヤッタコトニ、チガイハナイ」

(銀狼は何も知らなかった…だけど…)

「知らなかったんなら、なんで僕に『殺せばいい』なんて言うんだよ!!」

「オレハ、オマエヲ、ナカセタ」

「えっ?何を言ってるの…」

僕の手は銀狼の血で真っ赤に染まっている。

「オレハ、オマエヲ、ハンリョニスル、キメタ」

(…俺は、お前を、ハンリョにする?ハンリョ?)

(「伴侶、つまりお嫁さんじゃなぁ」)

村正がいいタイミングで翻訳してきた。

「ええっ、なっ、なんでっ?」

(「昨夜はお楽しみでしたな?主殿」)

(「えっと…昨夜?」)

そして僕は最初から最後まで思い出すこととなった。最後の方は色々と意識がないところもあったけど。

「うわぁぁぁっ!村正っ!なんで助けてくれなかったんだよっ!!」

思わず村正を引き抜いて刀に向かって叫んでいた。

(「妾も主殿のために無理したせいでしばらく力を失っておったんじゃ。むしろ、礼を言われても良いくらいぞえ」)

「でもでもでも!!」

真っ赤になって挙動不審になった僕に銀狼が話しかけてきた。

「オマエハ、オレノ、メスダ。オレガマモル」

(いやいやいや、「オレノ」って…狼のお嫁さんになるとか、無いから、絶対無いから…って)

「ちょっと待ってよっ、そもそも僕は怒ってるんだっ、町長さんや、アルさん…みんな普通に暮らしてただけだったのに…」

そう言っていると夢の中の町長さんが脳裏に浮かんで涙が滲む。

「全部お前のせい…じゃなかった…けど…うぅぅ‼」

銀狼のせいだと思っていたのに、銀狼のせいじゃなかった。
もう何が何やら分からなくなって、しばらく泣いて怒った後、僕は疲れて座り込んだ。

(もうわけがわからないよ…)

銀狼をどうすればいいのか、自分がどうしたいのかも分からなくなった。

「ナキヤンダヨウダナ。ハナシハ、デキルカ?」

「もぉ…なんだよ…」

「オレノ、チヲ、ツカウトイイ」

「え?」

(「うむ、銀狼の血には怪我や病気を治す効果があるからのお」)

「えっ?」

(「町長とやらもこの血さえあれば治るぞえ」)

「ええっ!?」

僕は町に走った。それはもう全速力で。町長さんの家は半壊しているから、息子さんの家にいるはずだ。

必死で向かった町長さんの息子さん(と言っても父さんくらいの歳だけど)の家はもうお通夜のような雰囲気で、僕を見ると頷いて町長さんの寝ている部屋に案内してくれた。

「お父さん、葵君が来てくれましたよ…」

まるで最後の挨拶のようだったけど、僕の方は町長さんの口のあたりが小さく動くのを見て胸を撫で下ろした。

(間に合った!)

僕は森に生えていた竹に入れた銀狼の血を町長さんの口に垂らした。

「葵君、それは…?」

「くっ、薬!そうっ、薬なんです!」

銀狼のことは言えない。なんとか勢いでごまかせた、はず。

「う…ごほ!ごほ!」

少しすると町長さんが咳き込んだ。そして、うっすらと目が開いた。

「ま、まさか…」

町長さんの息子さんが目を丸くしている。

「お父さん!聞こえますか?!お父さん!」

「おお…聞こえとるぞ…」

それからは隣の部屋からお医者さんが飛び込んできて、町長さんの周りは一気にお祭り騒ぎになった。

僕は騒ぎの中、こっそりと外に出て森に向かった。

銀狼はまだ同じ場所にいた。僕が切った傷も塞がっている。

「ありがとう、血をくれたおかげで町長さんの怪我は治ったよ」

「キニスルナ、オレノ、メスヲ、ナカセルワケニハ、イカナイ」

いやいや、結婚しないから!

町を襲ったのは銀狼の意志ではなかった。
また、無惨に殺されたハンターは灰狼の子供を嬲り殺したことに対する復讐だったらしい。話を聞くとハンターに対して同情する気にはならなかった。
つまり、もう銀狼には思うところはない。

(むしろ、町長さんを治してもらった恩もあるんだよなあ…)

僕が、うーん、うーんと銀狼の処遇を悩んでいると突然銀狼から質問された。

「オマエハ、コレカラ、ドウスルンダ?」

「僕は大和にいる父さんを助けるために強くならないといけないんだ」

そう、僕はついに刀の声を聞く事ができたから、これで父さんを手伝いに大和に行けるんだ。

「オレモ、ツイテイク」

「何言ってるんだよ、ダメに決まってるだろっ」

ちょっときつい口調だったかな、と思ったけど、銀狼は全く気にしてないようだった。

(「主殿、妾は連れていっても良いと思うぞえ。この銀狼は主殿を裏切ることは考えられんし、役に立つじゃろう」)

(「ちょっと、村正は黙ってて」)

「ダイジョウブダ。オレガ、カッテニ、ツイテイクダケ。ヤマト…ナツカシイ。オレモ、イク」

「そんなこと言っても、その姿じゃ無理だから」

「モンダイナイ」

そう言うと銀狼の体がどんどん小さくなって、それから人間の姿になる。

長い銀髪の長身の青年。顔も美形だ。

「これでどうだ?」

人間の姿になったせいで話しやすいのか、言葉が急に流暢になった。

(ええっ?)

(「これくらいは出来ぬわけなかろうよ。この銀狼は妾が見たところ相当長い時間を生きて力を持っておるからの」)

村正は色々分かっていたようだ。

「その刀…村正か…」

僕の刀を見て銀狼が呟いた。

(「ほう、妾のことを知っておるのか」)

「なんで知ってるの?」

「懐かしい、昔聞いたことがある…」

(銀狼は大和にいた事があるんだ)

いやいや、ブンブンと頭を振る。

「ダメダメダメ、そんな姿になっても僕は連れていかないよっ」

(「主殿、そのことじゃが、まだ大和に行くには早いのではないかの」)

(「なんで!?」)

(「主殿にはまだまだ力が足りておらん。妾の力のほとんどが引き出されておらんからのお。そんなことでは正宗とは…いやいや、魔物に勝てんぞえ」)

(「えっ?そうなの?」)

なんだか後半変なことを言ってた気もするけど、確かに村正を解放してからまだ数えるほどの日数しか経っていない。

(「侍達のいる大和が崩壊するほどの魔物の大量発生じゃ、妾の力を十全に引き出せぬと結局足手まといになるんじゃないかのお」)

さらに『足手まとい』と言われると僕は弱い。父さんに言われた言葉を思い出してしまうから。

(「それだけではないぞえ。主殿は大和にどうやって行くつもりなんじゃ?」)

そう言われて口ごもってしまった。なんとなくジェイクに連れていってもらおうなんて軽い気持ちで考えていたからだ。

(「そ、そうだね…」)

(「そう考えるとしばらくの間でも仲間がいた方が安心ではないかのお」)

頷きそうになって慌てて僕は首を振った。

(「そういうことじゃないんだよ!」)

◇◇

町長さんが回復した翌日、僕は町長さんの息子さんに呼ばれてお見舞いに行くことにした。

当然何を飲ませたか聞かれるし、そうなると銀狼について説明しなくてはいけなくなる。

(銀狼のこと…何て説明しよう…?)

着いた時にちょうど何人かの人がお見舞いに来ていたのでしばらく待つことにした。

「おうっ、アオイじゃねぇか」

「おはよう、ディック」

僕は声でバレないようにわざと低めの声を出す。

ディックは町長さんのお孫さんで学校に通っているときはちょくちょく僕に絡んできて面倒な奴だった。

学校を卒業してからだから久しぶりに会ったけど、ニキビ面で脂ぎった顔は学校にいた頃と変わらない。とは言え、ディックも20歳になって体つきなんかはもう大人と変わらなくなっていた。

「爺ちゃんの見舞いに来てくれたんか?」

そう言いながら近づいてきた。僕を見るその目つきは先日のハンター達と同じだ。なんだか背筋が寒くなった。

(やっぱり後にしよう)

「いや…うん、でもまた後にするよ」

僕は一旦帰ろうとクルッと振り向いた。

「おいおい、少し待ったらいいじゃねえか?久しぶりに会ったんだしよお」

ディックが僕の腕に手を伸ばしてきたその時、ドアが開いてガヤガヤと見舞いの一団が出てきた。

「チッ」

ディックが舌打ちをして僕の肩に手を置く。

「爺ちゃんならその隣の部屋にいるからな」

ディックはそう言いながらなかなか手を離さない。揉むような手つきに鳥肌がたった。

(「アオイ…しばらく見ねえうちにますます女っぽくなったな。たまんねえ!!…もう男でも関係ねえ。今度酒でも飲ませてヤっちまうか…くくく」)

村正の力が発動してディックの考えが頭に入ってきた。

(うわあ…こんなこと考えてたのか…)

「じゃあ」

ディックから逃げるようにして僕は町長さんの部屋に入る。後ろを窺うとディックがどこかに急いで向かうのが見えた。

(ああ…発情しちゃったんだね…)

(「主殿も我が力の使い方を分かってきたようじゃな」)

(「へ?」)

(「発情させようと力を込めれば普段よりも発情させられるのじゃ」)

(「そうなんだ」)

どうやら無意識に力を出したようだ。

(「この調子なら妾が顕現できる日も近いやもしれんなぁ」)

侍ってもっと男らしくて正々堂々と戦うものだと思ってたんだけど。なんというか、僕の思ってた侍からどんどん離れていくような気がする。

「おはようございます」

「おお、葵君。よく来てくれたのお。息子から聞いた。儂がこうして生きとるのは葵君のおかげじゃ。本当にありがとう」

町長さんはベッドから起き上がって僕の手を握る。
町長さんの心の声は聞かなかった。だってそんなことをしなくても十分伝わってきたから。

「じゃが、王国かギルドに連絡せんといかんな…いつまた魔狼が来るか分からんしのお」

町長さんがため息をついた。

「えっと、その事なんですが…」

『バンッ』

僕が話そうとすると、大きな音を立ててドアが開いた。ドアの向こうから町長さんの息子さんが鼻息荒く部屋に入ってくる。

「葵君っ!葵君っ!」

僕を見るとものすごい勢いで近づいてきた。

「今、父さんの家の前で毛皮を見てきたが、まさか、すべて退治してくれたのかっ?」

町長さんが驚いた顔で僕を見る。

「はい。灰狼、黒狼は全て倒しました。それに銀狼も逃がしましたが、もう戻ってくることはありません」

「まさか…?」

町長さんの驚いた顔。

毛皮は町長さんの家の前に置いてきたけど、僕は牙を革袋から取り出す。それに銀狼の毛と小さな瓶に入れた血を出した。

「た…確かに…これは銀狼の毛だが…しかし、葵君、一人でやったのか?」

町長さんの息子さんが言う。

「はい。ただ、ちょっと…」

僕は人払いをお願いして町長さんと二人になる。

そして村正を体から出した。

「おお…葵君もついに刀を…」

町長さんは嬉しそうに目を細める。

「実はこの刀が妖刀でして…その呪いで僕、女の子になってしまったんです」

「な、なんとっ」

「ですので、呪いの解除方法を探す旅に出ようと思います。それにまだまだ父さんを手伝いに行くには力不足ですし…」

こんなにお世話になった町を出ることに躊躇いがないかと言えば嘘になる。町長さんに止められたら出ていくのは辛い。

「そうか…」

だけど、町長さんはしばらく目を閉じたあとこう言ってくれた。

「この町は政信さんにも君にも十分以上救ってもろうた。じゃから葵君の好きなようにしなさい。じゃが、これだけは覚えておいておくれ。この町は葵君の故郷じゃ。儂らはいつでも葵君が帰ってくるのを待っておるからの」

出るときにチラっと見た町長さんの顔は寂しそうだった。

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