6周目 9月25日(土) 午前10時30分 島津政信

9月25日(土) 午前10時30分 島津政信

「な?結構歩くだろ?」

「大丈夫だよ」

私は車を返却してくる、という琢磨に付き添った後、手をつないでマンションに帰る。

「あっちいな、汗かいたぜ。帰ったらシャワーでも…」

マンションの敷地に入ったときのことだった。

「島津っ」

後ろから大きな声がした。

「何だ?」

私が振り向いたのを見て琢磨も振り返ると、高樹が猛スピードで走って来るのが見えた。

「高っ、わっ、ちょっ」

いきなり腕が取られて引っ張られて琢磨から離される。

「おいっ、お前は何だっ?」

琢磨は意味がわからないようで高樹に向かってドスの効いた声を出した。

「『なんだ』はこっちのセリフよっ、島津を返しなさいっ」

高樹も私を自分の後ろに隠すと言い返した。

「あっ、琢磨っ、待って」

私は高樹の大きな体の後ろから顔を出して今にも殴りかかりそうな琢磨を止めた。

「おあっ?だけどよっ」

琢磨が何もしないと見たのか、高樹が振り返って私に怒鳴る。

「島津っ、アタシがどんだけ心配したかわかってんのっ?」

高樹も興奮しているのか大きな声を出したので道行く人がこちらをチラチラと見た。

「高樹っ、声が大きいよ。ねぇ、ちょっと聞いてっ…」

そう言うと高樹も少し落ち着いたようで、慌てて小さい声になる。

「島津っ、アンタでかい声で高樹なんて言ったら琢磨にバレちゃうでしょ」

「あの…実は…」

「さっ、帰るわよ」

高樹が腕を引っ張るけど、私の脚は動かなかった。

「何してるのよ?どうせ琢磨に誑かされたんでしょ?」

チラッと後ろを見て高樹が言った。

「私…帰らない」

「はあ?アンタ何言ってるの?」

「だから、帰らない。琢磨と一緒にいることにしたから」

「だから、何言ってるのよ?アンタは島津なのよっ、琢磨もアンタのことをアタシだと思ってるのよ」

呆れたように高樹が私を見る。

「琢磨には全部話した。私を好きだって言ってくれた」

『パンッ』

そう言った瞬間高樹の掌が私の頬をぶった。

「お前っ、美紗に何してんだっ」

琢磨が再び一歩踏み出す。

「琢磨っ、ダメっ、大丈夫だからっ」

そう言うと私は高樹に頭を下げる。

「ゴメンっ、高樹が心配してくれてたのも…この体で勝手もして…でも…私は琢磨と一緒にいることにしたの」

頭を下げていると琢磨の気配がした。

「話は大体分かった。お前が美紗…なんだな?スマンっ…俺は今の美紗と一緒にいたい。許してくれっ」

琢磨も頭を下げる。

暑い日差しの中最後のセミの声が激しくなった。

随分長い間頭を下げていた気もする。

『ポタ…ポタ…』

アスファルトに水滴が落ちた。

(あ…)

私が思わず顔を上げると高樹の目から涙が落ちていた。

琢磨は頭を下げたままだ。

「なんで…ううっ…よりによってどうして琢磨なのよっ…どうしたらいいのよっ、なんで毎度毎度…いやよっ、いやっ、ぁぁああああぁぁぁっ」

女の子のように顔に手を当てて泣きじゃくる元私の体を見つめていると私も不思議と涙が溢れた。

「うう…ぐすっ…もういいわよ…琢磨も顔を上げなよ…」

高樹がそう言うと琢磨も顔を上げる。

『ゴッ』

高樹の拳が琢磨の顎に入って琢磨が吹っ飛んだ。

「ふんっ、せいぜいお幸せにっ、ぐす…」

そう言って高樹は私たちを残して帰っていった。

◇◇◇

9月25日(土) 午前11時00分 島津政信

「あれで良かったのか?」

妙な雰囲気のまま部屋に入った私たちはベッドに座る。

「うん。覚悟はしてたから。そんなことより琢磨は大丈夫?」

琢磨の顎に触れる。

「ああ、大丈夫…いちちちっ」

ちょっと痛そうに顔をしかめた。

「骨折れたりとか…」

「そりゃねえよ」

「あっ」

琢磨の唇から血が出ていた。

「ああ、口ん中切っちまったか」

『ペロッ』

舌で血を舐めとった琢磨が私を安心させるように笑った。

「冷やさないとっ、琢磨は寝ててっ」

私は冷蔵庫から氷を出して、タオルを濡らすとベッドに寝転がった琢磨の唇に当てる。

「……」

部屋がシーンと静まった。

「なあ…美紗はあれで良かったのか?」

ベッドで目を閉じて琢磨がつぶやくように言った。

「…うん」

ベッドに座って琢磨の手を握る。

「俺は残念だけど戻ったって…」

そう言われるとなぜだか涙が溢れてきた。

琢磨の手に雫が落ちて琢磨の目が開く。

「なっ、どうしたんだ?やっぱり…」

慌てて起き上がった琢磨の顔からタオルが落ちた。

「違うのっ、琢磨こそっ、私のことはその程度だったってこと?」

「そんなわけないだろっ」

琢磨の目にこれまで見たことがない不安の色が浮かんだ。

「俺はお前と一緒にいたい…けど、それでいいのか…お前の人生を狂わしてしまったんじゃねえかって…」

「そんなこと、そんなことないよっ」

琢磨の唇に顔を寄せる。

「ここ、紫になってる…私のせいで琢磨は怪我ばっかりしてるね」

『チュッ』

琢磨の唇の端にキスをした。

「ねっ、少し寝ようよ、琢磨も疲れたでしょ?」

◇◇◇

9月25日(土) 午後4時30分 島津政信

『トントントン』

なんとなくいい匂いがして俺は目を覚ました。

「ん?」

(結構寝ちまっていたか)

寝る時に腕にあった重みが消えている。

(まさか…)

ガバっと起きると聞き慣れた声が聞こえた。

「あっ、琢磨起きた?ご飯できるまでちょっと待ってね」

一瞬嫌な予感がして焦ったが、エプロン姿の美紗がこちらを見て微笑んでいるのを見てホッとした。

(こんな気持ちになるなんてな…完全に惚れちまったな)

ボリボリと頭を掻いて起き上がった。

美紗は昔誰かが置いていったカフェの店員のエプロンをしている。

「料理してくれてるのか?」

そう言うと少し困ったような顔をする。

「えっと、そのつもりなんだけど…初めてだから…ほとんどインスタントみたいなもので…」

「あっ、お鍋っ」

そう言って振り返った美紗の後ろ姿を見て思わず声が出た。

「美紗っ、おまっ、その格好っ」

エプロンのせいで前からはわからなかったが、美紗は俺の大きめのTシャツを着ているだけだった。

「えっ、やっ、だって…服がどこにあるかわかんなかったから…それに着てみたら長かったから…」

後ろ手に裾を引っ張るようにして「あんまり見ないでよ」と言って鍋に向かう。

ムクムクと俺の一部分に血が流れ込んだ。

俺は何気ない風を装って美紗の後ろに立つ。

「おっ、うまそうじゃん」

「うん、もうすぐお米も炊けるし…って、もぅ」

思わず後ろから抱きしめる。美紗の髪からシャンプーの匂いがした。

「起きて隣にいなかったから…心配したぜ」

「だから、ずっと一緒にいるって言ったでしょ?」

美紗が笑った。