照りつける太陽、赤い粘土質の地面とところどころに現れる石灰質の白い岩。
力強く大地を蹴っていた脚が、風に靡く美しい銀の毛並みが、僕の目の前で命を失っていく。
強い意思を伝えていた瞳が無機質な石へと変化して、ついには巨大な狼の石像となった。
(ラルフ………っ!!)
◇◇◇
王宮で起こった大事件が終結してから2週間後、僕は修復の終わった王宮とギルドの両方から呼び出しを受けた。
そこでレヴァインさんの話にもあった西方への探索が正式に依頼された。また、王宮では大和の情報も得ることができた。
大和の国は魔物に蹂躙され、一時は国土の大半を失った。しかし、その後十年あまりで奪われた土地の半分近くを取り返したという。
また、大規模な魔物の襲来は最初だけで、その後はほとんどないそうだ。そして父さんは魔物が現れた原因と、その対処方法を探る事に尽力しているそうだ。
これらの情報は、すぐに大和に戻らなければいけないような切羽詰まった状態ではないという事を示していた。
(父さんも母さんや桜も無事なんだ…良かった…僕も国の助けにならたいけど、村正がこんな状態じゃかえって足手まといになってしまうだろうし…)
悩んだ末、僕は西方の探索を受けることにした。
◇◇◇
切り立った岩壁が左右から迫ってくる細い谷。
岩壁は谷底から見上げればさながら天まで届くかのようで、太陽の光は谷底まではほとんど届かず、わずかに光が落ちる場所以外は日中を通して薄暗い。
また、大雨の降ったあとや雪の溶ける春先には谷は水で溢れ返り通行することは出来ない。
だが、ディルム山脈を登って越えるには夏でも雪山の装備が必要だから、一般的には山脈を越えるには海を渡るかこの道を通るしかない。
ちなみにコキュートスは北部にあり、ディルム山脈越えの中でも最も困難なルートらしい。雪山に慣れた者でも容易に命を失うこのルートは間違っても行こうとする者はいない。
「ハッ、ハッ、ハッ、アオイ、モウ、ツクゾ」
巨大な銀狼の姿になったラルフの背中で僕は視線を上げた。岸壁の向こうに小さな光が見える。そして、その小さな光はラルフの速度のせいであっという間に眩しく輝きを増した。
「うわあ…」
その景色はアヴニールの図書館で事前に調べていた僕の想像をはるかに越える厳しさだった。
視界一面、荒野と言うしかない赤い粘土質の土地で、植物はまばらに生えている程度。徒歩で旅する者にとっては厳しい自然の試練なんだけど。
「ラルフ、まだ行けそう?」
「ダイジョウブダ」
普通の人なら山脈越えに町まで歩くので2週間はかかる道のりもラルフのおかげでわずか一日だ。
この20キロくらい先にイシュクの街があるはず。今日はそこに泊まるつもりだった。
ところが、ラルフが再び走りだして間もなくのこと。
(ん?)
何かが視界の端をよぎった気がした。
「アオイ、シッカリ、ツカマッテイロッ」
(え?)
ラルフがそのままの速度で高く跳ぶ。
「うわぁっ」
「アタマヲサゲロ」
言われた通りにすると、矢が通過した。
「なっ、何これっ?」
ラルフが岩陰に着地する。
「ラルフっ」
「マダダッ」
ラルフがグッと力を込めて跳ぶのと、足元の地面が割れるのがほぼ同時。
空中で振り向くと見たことのない巨大な蛇が地面から出した体をこちらに向けていた。
「頭にトサカがあるよっ、えっ、ひょっとして…」
「バジリスク」
(バジリスクって…まさかあのっ?)
図書館の本には出会ったら逃げるしかない、と書かれていた。
ラルフが着地した時、バジリスクが体を折り曲げているのが見える。
「アオイッ、ハナレロッ」
「えっ、うわあっ」
ラルフの背中から振り落とされた僕はそのまま岩陰に転がる。
『ゴオオオッ』
回る景色の中で、バジリスクの胴体にラルフが噛みついていた。
(ラルフ!!)
「グルルルルッッ」
「キシャアアアアアッ」
痛みに悶えるバジリスク。だが、その瞳が赤く光る。
「グオオオッ」
ラルフの足が止まった。いや、動けないのだ。
銀色のきれいな毛並みが灰色の無機物に変化していく。
(石化の呪い…そんなっ)
バジリスクは鶏冠を持つ蛇の魔物。蛇の王と呼ばれる伝説の毒蛇で、図書館で読んだ本によれば、噛まれると強い毒でほぼ生き残れない。魔物の持つ毒の中でも最も危険だという。
さらにそれ以上に恐ろしいのは石化の呪い。発光する瞳に睨まれたものは石になってしまう。
(なんで…!?個体数がほとんどない伝説の魔獣じゃなかったの…?)
「ラルッ…むぐ」
ラルフと目が合って僕は両手で口を押さえた。ラルフの瞳が静かにしろと告げていたからだ。
(ラルフの体がっ…でもどうしたらっ)
バジリスクは僕の声に気がついたのか頭を上げて左右を見渡した。
(いけないっ)
慌てて頭を下げる直前、胸まで石像になってしまったラルフが見えた。
(ああああ、ラルフがっ…石になっちゃうっ!!)
結局焦るだけで何も出来ず息を潜めることしかできない僕は悔しさに唇を噛みしめる。
そして、ついに、ラルフの体だけでなくその周囲の地面まで石になってしまった。
(ラルフっ!!うぅっ…!!)
だけど、僕に悲しみにくれる暇は与えられない。
危機が去ったわけではなかった。今度は僕の隠れている岩に向かってシュルシュルと音が近づいてきた。
(くっ!!こっちに来るんなら、一か八か…やられるにしても一矢報いてやる!!)
『……』
覚悟を決めた僕のすぐ近くでバジリスクの出す音が止まった。
(………ん?)
その代わりに、地面から小さな揺れを感じる。
(な…今度は何っ?)
遠くから地鳴りのような音が近づいてきた。
『ドドドドド』
たくさんの激しい足音が響き、あたりに赤い砂ぼこりがたつ。
「バズっ、上手くやったか?…おおっ、やったな。さすがだぜ、相棒っ」
明るい声が聞こえる。
(人?)
息を潜めて岩の隙間から覗くと、若い灰色の髪の男がバジリスクを撫でていた。危険な魔獣がペットのように甘えている。
(何者なんだ?)
10頭以上いる二足歩行のトカゲと、それに乗った男女に囲まれた男は集団のリーダーなのだろうか。
「で、人間はいなかったか?確か、この狼に乗ってた奴がいたはずだが」
「アラン、それ、女だったよ」
周りにいた仲間らしき女の人がトカゲから降りた。幅の広いテンガロンハットに胸元を大きく開いたシャツ、ズボンには紐が何本もついている。
「ほおっ、女が一人ってか、旅人にしちゃ珍しいな」
「どうでもいいが本当に金はもってるんだろうな?」
口々に話す言葉から想像すると、どうやら盗賊のようだ。
「おいっ、アランっ、あれ荷物じゃないかっ?」
そしてどうやらラルフの背中にくくりつけた旅の荷物を見つけたらしい。
「おいっ!!こいつはかなり金が入ってるぞ」
先程から金、金と言っていた男が歓声をあげた。
「よし、戦利品も手に入ったことだし一旦アジトに帰るか」
アランと呼ばれていた若い男が仲間達に告げると今度は女の声がした。
「女の方はいいのかい?」
「いいさ。女を捕まえたところでどうしようもないからな」
それでも街にバラされたら面倒だと言い募る女やそれに同調する仲間達にアランは続ける。
「食料も水も無しだ。街までたどり着けるかは五分五分ってとこだろうしな。それにほらっ、これを見ろよ!!」
アランの言葉とお金の入った袋を仲間達に見せると納得したのか、それ以上の追求はやんだんだけど…。
(……あっ!!追いかけないとっ!!)
慌てて岩陰からでた僕は巻き上げられた砂ぼこりに目を瞑る。
「くっ!!」
そして砂ぼこりが収まったときには、もう彼らの背中すら見えなくなっていた。
(ああ…手がかりが…)
こんなことならジルにもついてきてもらったら良かった。考えても仕方ないことが頭をよぎる。
ジルは王城から戻ってからずっと自室にこもって研究に没頭していた。だから今回はアヴニールに居残りしてもらうことにしたんだけど、裏目に出たかもしれない。
しばらくトカゲの走り去った方を見つめていた僕はラルフの元に戻る。
幸いなことに、アランと呼ばれていたリーダーらしき男の額に着けたゴーグルと茶色のジャケットに裾の広がったズボンは砂漠の装備だ。
(ここでこうしていても何もならない。まずは街に行こう。きっとラルフを助ける方法があるはず…)
「ラルフ、必ず助けるから」
ラルフにそれだけ言って僕は街を目指し歩き始めた。
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