数日経って、僕は修復の終わった王宮とギルドの両方から呼び出しを受けた。
そこでレヴァインさんの話にもあった西方への探索が依頼された。また、王宮では倭国の情報も教えてもらうことができた。
倭国は魔物に蹂躙され、一時は国土の大半を失った。しかし、その後十年あまりで再び奪われた土地の半分近くを取り返したという。
また、大規模な魔物の襲来は最初だけで、その後はほとんどないそうだ。そして父さんは魔物が現れた原因と、その対処方法を探る事に尽力しているそうだ。
これらの情報は、すぐに倭国に戻らなければいけないような切羽詰まった状態ではないという事を示していた。
(父さんも母さんや桜も無事なんだ…良かった…僕も倭国の助けにならたいけど、村正がこんな状態じゃかえって足手まといになってしまうだろうし…)
そこで僕は西方の探索を受けることにした。
◇◇◇
切り立った岩壁が左右から迫ってくる細い谷。
岩壁は谷底から見上げればさながら天まで届くかのようで、太陽の光は谷底まではほとんど届かず、わずかに光が落ちる場所以外は日中を通して薄暗い。
また、大雨の降ったあとや雪の溶ける春先には谷は水で溢れ返り通行することは出来ない。
だが、ディルム山脈を登って越えるには夏でも雪山の装備が必要だし、登山の技術も必要だから山脈を越えるには海を渡るかこの道を通るしかない。
ちなみにコキュートスは北部にあり、ディルム山脈越えの中でも最も困難なルートらしい。雪山に慣れた者でも容易に命を失うこのルートは間違っても行こうとする者はいない。
「ハッ、ハッ、ハッ、アオイ、モウ、ツクゾ」
巨大な銀狼の姿に戻ったラルフの背中で僕は前を向いた。視線の先に明るい光が見える。それもラルフの速度のせいであっという間に近づいてきた。
「うわあ…」
その景色はアヴニールの図書館で事前に調べていた僕の想像をはるかに越える厳しさだった。
視界一面、荒野と言うしかない赤い粘土質の土地で、植物はまばらに生えている程度だ。
「ラルフ、まだ行けそう?」
「アア、マチマデイコウ」
この20キロくらい先にイシュクの街があるはず。今日はそこに泊まるつもりだ。
普通の人なら山脈越えに町まで歩くので三日はかかるけど、ラルフのおかげでわずか一日だ。
ラルフが再び走りだして間もなくのこと。
(ん?)
何かが視界の端をよぎった気がした。
「アオイ、シッカリ、ツカマッテイロッ」
(え?)
ラルフが高く跳ぶ。
「うわぁっ」
「アタマヲサゲロ」
言われた通りにすると、矢が通過した。
「なっ、何これっ?」
ラルフが岩陰に着地する。
「ラルフっ」
「マダダッ」
ラルフがグッと力を込めて跳ぶのと足元の地面が割れるのがほぼ同時。
空中で振り向くと見たことのない巨大な蛇が地面から出した体をこちらに向けていた。
「頭にトサカがあるよっ、ラルフっ、ひょっとして…」
「バジリスク」
(バジリスクって…まさかあのっ?)
ラルフが着地した時、バジリスクが体を折り曲げているのが見える。
「アオイッ、ハナレロッ」
「えっ、うわあっ」
ラルフの背中から振り落とされた僕はそのまま岩陰に転がった。
『ゴオオオッ』
目の前をバジリスクが跳んでラルフがその胴体に噛みついた。
「グルルルルッッ」
「キシャアアアアアッ」
痛みに悶えるバジリスクの瞳が赤く光る。
「グオオオッ」
「いてて…あっ」
ラルフが立ち止まっている。いや、動けないのだ。
岩陰で起き上がった僕の目に映ったのは脚が石になり始めたラルフの姿だった。
(石化の呪い…そんなっ)
バジリスクは鶏冠を持つ蛇の魔物。
図書館で読んだ本によれば、噛まれると強い毒でほぼ生き残れない。
しかし、それ以上に恐ろしいのは石化の呪い。発光する瞳に睨まれたものを石にしてしまうのだ。だけど、個体数がほとんどないため出会う可能性はほぼないはずなのに。
「ラルッ…むぐ」
ラルフと目が合って僕は両手で口を押さえた。ラルフのその瞳が静かにしろと告げていたからだ。
(ラルフの体がっ…でもどうしたらっ)
バジリスクは僕の声に気がついたのか頭を上げて左右を見渡した。
(いけないっ)
慌てて頭を下げる直前、胸まで石像になってしまったラルフが見えた。
(ああああ、ラルフがっ…なんとかっ、なんとかしないとっ)
ラルフの体から周囲の地面まで石になってしまった。
結局焦るだけで何も出来ず息を潜めているしかなかった僕は悔しさに唇を噛みしめる。
だけど、まだ危険は去っていなかった。今度は僕の隠れている岩に向かってシュルシュルと音が近づいてくる。
(お願いっ、気づかないでっ)
『……』
僕の祈りが通じたのかバジリスクの出す音はそれ以上は近づいてこなかった。その代わりに、地面から小さな揺れを感じる。
(な…今度は何っ?)
遠くから地鳴りのような音が近づいてきた。
『ドドドドド』
たくさんの激しい足音が響き、あたりに赤い砂ぼこりがたつ。
「バズっ、上手くやったか?…おおっ、やったな。さすがだぜ、相棒っ」
明るい声が聞こえる。
(人?)
息を潜めて岩の隙間から覗くと、若い灰色の髪の男がバジリスクを撫でていた。頭にゴーグルを着けて、茶色のジャケットに裾の広がったズボンを穿いている。
周りには二足歩行のトカゲと、それに乗った男女が十人以上いた。
「で、人間はいなかったか?確か、この狼に乗ってた奴がいたはずだが」
「アラン、それ、女だったよ」
周りにいた仲間らしき女の人がトカゲから降りた。幅の広いテンガロンハットに胸元を大きく開いたシャツ、ズボンには紐が何本もついている。
「ほおっ、女が一人ってか、旅人にしちゃ珍しいな」
「どうでもいいが本当に金はもってるんだろうな?」
トカゲから降りて口々に話しているのを聞いているとどうやら盗賊のようだ。
「おいっ、アランっ、あれ荷物じゃないかっ?」
そしてどうやらラルフの背中にくくりつけた旅の荷物を見つけたらしい。
「おいっ、こいつはかなり金が入ってるぞ」
先程から金、金と言っていた男が歓声をあげた。
「よし、戦利品も手に入ったことだし一旦アジトに帰るか」
アランと呼ばれていた若い男が仲間達に告げると今度は女の声がした。
「女の方はいいのか?」
「いいさ。女を捕まえたところでどうしようもないからな」
それでも街にバラされたら面倒だと言い募る女やそれに同調する仲間達にアランは続ける。
「食料も水も無しに街まで歩けると思うか?それにほらっ、これを見ろよ」
アランの言葉とお金の入った袋を仲間達に見せると納得したのか、再びそれぞれのトカゲに跨がった。
(追いかけないとっ)
砂ぼこりをたてて走り出した盗賊を追いかけようとしたけど、あっという間に見えなくなってしまった。
(ああ…手がかりが…)
こんなことならジルにもついてきてもらったら良かった。考えても仕方ないことが頭をよぎる。
ジルは王城から戻ってからずっと自室にこもって研究に没頭していた。だからアヴニールに居残りしてもらうことにしたんだけど、裏目に出たかもしれない。
しばらくトカゲの走り去った方を見つめていた僕もラルフの元に戻る。
(ここでこうしていても何もならない。まずは街に行こう。きっとラルフを助ける方法があるはず…)
「ラルフ、必ず助けるから」
ラルフにそれだけ言って僕は街を目指し歩き始めた。
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