「僅かな間にお強くなられましたね。どうやら祖父の道場では有意義に過ごされているようだ」
「ありがとうございます」
久しぶりに城に帰った私は指南役の加茂泰晴に稽古をつけてもらっていた。
「ほう…安倍犬千代ですか…確か豪剣の使い手ですね…数年前のことですが、道場に顔を出した当時も光るものがありましたね」
加茂泰晴は私の通う神鳴流加茂道場の主、加茂直弼の孫にあたり、若くして免許皆伝の達人だ。
「神鳴流の教えは大きく三つに別れます。一つは豪剣、もう一つは柔剣、そして居合い。千手丸様はそのお体ですので豪剣には向いておりませぬ。無理に豪剣に対抗せずとも柔剣、居合いを極められたらよいのです」
◇◇◇
「んん…」
(柔剣…居合いをまずは……って…えーっと…ここはどこだっけ…?)
僕は固い石で出来た床の上で目を覚ました。微睡んでいた間に見ていた夢のせいで寝ぼけていることもあって、混乱したまま起き上がる。
「痛たた」
体を動かしてみると体の節々が痛むものの、それほど長い時間寝ていたわけではなさそう。
(もう日は暮れたのかなあ…)
薄明かりが十字に切られた格子の隙間から入ってきている。
(これって…?)
近寄って見てみてもやっぱり目の前にあるのは石でできた格子。
(…もしかして…牢屋?)
格子の隙間は僕の腕は通るくらいで出られそうもない。
(なんで牢屋なんかに…僕、何してたんだっけ?…えっと…昼過ぎにアズと別れて…そうだっ、夕方まで情報を探して孤児院に戻ろうとしたんだった。…その途中で女の人に呼び止められて…)
ちらっと見えた褐色の肌に豪華な金髪を思い出す。
(…えっと…話しかけられて振り返った瞬間、何かを嗅がされて…それから…えっと…)
そこから先が思い出せない。
(そうか、あの女の人に…)
こうしていても仕方ないので部屋を調べてみた。二メートル四方の牢屋にはもちろん僕の私物などもなく、逃げるための道具もない。
もちろん僕を捕まえたのが何者なのか、何が目的なのか、これからどうなるのか、何もかもが分からずため息をつくしかなかった。
(ラルフを助けないといけないのに…)
「お嬢さんも捕まったようじゃな」
不意に向かい側の牢屋から声がした。
「誰っ?」
てっきり自分一人しかいないと思っていたので、僕はびっくりして目を凝らした。だけど牢屋の中までは暗くて見えない。
「ん?ワシは弾正じゃ。お嬢さん、名前は何と言うんじゃ?」
しわがれた声からして老人だろうか、名乗る声は牢屋の中というのに随分落ち着いていた。
「葵、御門葵だよ。ねえ、ダンジョー?…弾…正…、弾正さんはひょっとして倭国の人?」
「ん…そうじゃが?」
「うわあっ、ぼっ、僕もなんですっ」
父さん以外の倭国の人と話をしたことで落ち込んでいたテンションが急に上がる。
「あっ、じゃあ…」
続いて弾正さんから倭国の状況を聞こうとしたけど、そう上手くはいかなかった。
「いや、ワシは昔むかーしは倭国にいたんじゃが今は旅の空よ。魔物の大発生の前にこっちに来ていたものでな。こっちにいた倭国の商人なんぞも、ほとぼりが冷めたら帰ってしもうたしの」
「そっか…じゃあ今の倭国を知らないんだ…」
「ああ、すまぬな。ところで、お嬢さんは何か焦っておるようじゃが?」
僕は話していいものか少し悩んだものの、同郷であることもあって見ず知らずのこの男に状況を説明することにした。
「ふうむ。それは大変じゃったんじゃなあ。…じゃが、そのラルフとやらを助ける方法ならありそうじゃ」
一通り話を聞き終えた弾正さんは何でもないようにそう言った。
「えっ?弾正さん、何か知ってるの?」
(あんなに街の人に聞いて回っても分からなかったのに)
「いや、ワシは何も知らんよ。じゃが、石化を解く方法があるのは間違いないぞ」
自信満々に断定する弾正さん。
「どうして分かるの?」
「お主は先程『ラルフは石になった』と言ったな。さらに『ラルフの周りの地面も』とも」
「うん」
あの場を思い出す。確かに石になったラルフの周囲の地面まで石になっていた。
「それに、奴等は『ラルフの荷物を持っていった』と」
「うん」
「考えてもみよ、周囲の地面まで石になるのならラルフとやらの持っていた荷物も石になって然りではないか?」
(なるほど、それはそうだ…あれ?荷物…)
「そうかっ…奴らは荷物を奪っていった…。石になっているはずの荷物が元に戻ったのなら…」
「そうじゃ、石化の呪いは解けるということじゃ」
「弾正さん、ありがとうっ」
「いやいや、ワシは何もしとらんからの」
(そうと決まればあのバジリスクを見つけないと…)
そこで自分が牢屋の中にいることを思い出して再び僕はガックリと座り込んだ。
(そうだった…僕、捕まっちゃったんだった…)
「お主、逃がしてやろうか?」
僕は向かい側の牢屋に向かって乾いた笑いを返す。
「ふふふ、何を言ってるんだよ、自分も捕まってるくせに」
ところが弾正さんはやっぱり自信満々だ。
「ふむ、信じておらぬようじゃの。では見せてやろう」
そう言った弾正さんの牢屋から紐みたいなのがニュルニュルと出てきた。紐は出てくるに従って、何かを形作る。
「えっ?」
それが人の足だと気づいた時、僕は立ち上がって格子を掴んでいた。
それから続いて体が形作られ、ついに一人の男が姿を表した。
「ほれ、どうじゃ?」
髪の毛がないツルツルの頭に、細い目。片目は瞑っている。声から想像していた通り、弾正さんは老人だった。
「凄いっ、…でも…」
目をそらす僕に弾正さんが心外そうに聞いた。
「でも何じゃ?」
「あの…出来ればその…服を…」
「おやおや、そうじゃったな」
素っ裸で腰に手を当てていた弾正さんが頭を掻く。それから指を牢屋に向けると指先から解れるようにして紐が伸びる。その紐が牢屋から服を引っ張り出して服を着だした。
「僕も逃がしてもらえるの?」
弾正さんが眼帯を着けるのを見ながら僕は聞いた。
「うむ…同じ倭国の者じゃしな。助け合わんとな…」
そう言って僕のいる牢屋の前に立つ。そして、弾正さんが突然蹲いた。
「ううっ、むっ、まずいっ」
「どっ、どうしたの?」
弾正さんが苦しそうな顔で立ち上がった。だけど、力が入らないのか、ふらついて格子にもたれる。
「うう…力が…」
「力が?」
「すまぬな…実はこの力を使うには、とあるエネルギーを必要とするのじゃ…不足すると体が…ぐうぅぅ」
そう言いながらも辛そうに顔を歪める。
「ええっ?エネルギー?『とある』って何が必要なんですかっ?」
「うむ…女子(おなご)には言いづらいのじゃが…」
なぜか弾正さんが言い淀んだ。
「何ですかっ?言ってください。僕に出来ることなら何でもしますからっ」
「うむ…いや…しかし…」
ここから出られないとバジリスクも見つけられないし、ラルフも石のままだ。
「大丈夫ですっ、言ってくださいっ」
「仕方ない…もう少しこっちに寄るんじゃ」
僕の必死さが届いたのか弾正さんがようやく重い口を開く。僕らは格子越しに見つめあった。
「実はじゃな」
「はい」
(こんなに言いにくそうなんだからきっとなかなか手に入らない薬か何かなんだ)
僕は心の準備をする。
「…この力を使うには…女子(おなご)の愛液が必要なのじゃ」
(あい、えき?……今、あいえきって言った?…まさか…愛…液……?)
予想外の弾正さんの言葉の意味を理解するのに時間がかかってしまった。弾正さんがチラチラと僕の様子を見ている。
「すまぬ…やはり無理じゃな…上に行き、牢の鍵を探してこよう」
苦しそうに体を引きずって歩く弾正さん。
(そんな体じゃっ…逃げ出したのがバレたらどうなるか…)
「弾正さんっ」
壁に寄りかかるようにして弾正さんが振り返って微笑んだ。
「大丈夫じゃ、この老いぼれの命に代えてもお主だけは助けてみせる」
(ダメだっ、弾正さんは死ぬつもりだっ)
「弾正さんっ、分かりましたっ、僕の…その…あ、あ…ぁ…ぃぇ…を使ってください」
「のほっ、それは真かっ?」
弾正さんがスクッと立ち上がると、走って戻ってきた。
「ひひひ、本当にエエのか?」
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