11周目 9月24日(金) 午後1時10分 高樹美紗
「ねえ、政信」
アタシは昼休みに沙紀に呼び出された。
「なんだ?」
「えっと…あのさ…」
(何なのよ)
アタシがなにも言わずにいると、沙紀が意を決したように口を開いた。
「あんな子連れてきて、アンタどういうつもりなのっ?」
沙紀の怒気を含んだような勢いに廊下を歩く生徒はアタシ達を避けるように通りすぎていく。
「あの子?…ああ、…高樹のことか」
「この大事な時期に、部員たちも浮き足だってるわよっ」
「そうか?部員達も張り切っていたし…」
「そういう問題じゃないのっっ」
沙紀の声が廊下に響いて、周りの視線が集まった。
「ちょっ…ちょっとこっちにきてっ」
沙紀も自分の声に驚いたのかアタシを人通りの無い階段の踊り場まで引っ張っていく。
「何か問題でも起こってるのか?」
再び沙紀が何も言わなくなったのでアタシから聞いた。
「そうじゃないの…政信…あの子と付き合ってるの?」
沙紀の言葉でようやく状況が理解できた。
(そういう事…。沙紀は島津が好きで高樹美紗に嫉妬してるって訳ね)
「はあ」
思わず溜息が出てしまった。
沙紀の懇願するような目付きになぜだか苛つく。
「いや、付き合ってない。火曜に痴漢に遭ってるのを助けたんだよ。ちょっと心配だから一緒に登下校してるだけだ」
感情的になりそうな自分を抑えてそう言った俺に、しかし、それでも沙紀は諦めなかった。
「でも…それなら政信じゃなくてもいいじゃないっ。あんな可愛い子なら他にいくらでも守ってくれるわよっ」
「そういうことじゃ…」
「それに…それなら部活だって軽い気持ちで来ただけでしょっ?そんなの迷惑よっ」
「いや、しま…高樹の柔道に対する姿勢は…」
「何?高樹さんの事なら何でも分かるって?たかが何日か一緒にいただけじゃないっ。私なんて、私なんて…」
沙紀の目に涙が溜まる。
「いや、だからそういうことじゃなくて…」
「いいわ。私から高樹さんに直接言ってあげる。それともやっぱり高樹さんが好きなの?」
全く話を聞かない沙紀にアタシもついに切れてしまった。
「俺が高樹を好きでも、付き合っていても、お前には何の関係ないだろ?」
冷たく言い放ってアタシはその場から去った。
◇◇
11周目 9月24日(金) 午後3時40分 島津政信
放課後になり、今日は俺も柔道部にも参加することにしていた。
店長と二人で店にいたくない、というのもあるけど、せっかく柔道部に入らせてもらえたのだから、ほんの少しでも柔道部に関わっていたかった。
ところが、俺が道場に行くと、何だか部員達がよそよそしい。
「こんにちは」
ちょうど目の合った一年生、結城オサムは明るい一年生のムードメーカーだ。
だけど、俺が挨拶をしても、目を合わそうともせず、一目散に更衣室に入って行った。
(?)
結城の奇妙な反応に面食らって振り返ると俺と同学年の桐生直人がいた。こちらは180センチの俺と同じくらいの身長で体重は1.5倍ほどある巨漢だが、優しい男だ。
「あれ…どうしたのかな?」
結城の態度に呆気に取られつつも気を取り直して桐生に話しかけてみたけど、これまた曖昧に頷いて更衣室に消えていった。
(何だか、変だな)
とは言え、仕方ないのでガランと広い畳の上で皆が着替えるのを待つ間に沙紀の仕事を思い出しながら部活の準備を始めた。
「あら。高樹さん、早いのね」
沙紀の声がした。
「あっ、こんにちは」
沙紀は俺の準備したものを見た。
「あー、高樹さんはこんなことしなくても良いのに」
「えっ?でも、マネージャーが…」
マネージャーの仕事だし、俺がそう言おうとした瞬間、沙紀の態度が豹変した。
「マネージャー?あのね、いい?私はずっと一人でマネージャーをやってきたの。あなたみたいに男目当てでチャラチャラした子がマネージャーなんて、出来っこないのよっ。ほらっ、ヤカンに水も入ってないし、練習の日誌も無いし」
「あの…」
(俺も今来たとこだし…)
「そもそも昨日も一昨日も休んでっ。中途半端にされても仕事が増えるだけで邪魔なのよっ。はっきり言ってあなたのせいで部員たちの調子が崩れてるのよっ。痴漢が怖いんなら明るいうちに帰ったら?」
沙紀のこんな姿は見たこともないし、まさかこんな風に悪意を向けられるなんて思いもよらず、俺は下を向く。
「何?下向いて泣いたら誰かが助けてくれるって?何も一人で出来ないあなたが部員の世話なんて、笑わせるわねっ」
吐き捨てるように言われて、俺は茫然自失のまま柔道場の入り口に向かう。
高樹に【バイトに行くので今日は先に帰ります】とメールをしてとぼとぼとバイトに向かった。
◇◇◇
11周目 9月24日(金) 午後4時30分 島津政信
考えないようにしようと思うが、俺の頭の中には沙紀に言われた言葉がぐるぐる回って暗くなってしまう。
『他の部員達が浮き足だっている。マネージャーの仕事もしないで、男に媚を売らないで』
(そんなつもりじゃないんだけどな…)
今日は葛城もバイトに来るはずだったけど直前で部活のミーティングが入ったらしく、遅れて来るとのことだった。
俺も柔道部に参加してバイトの時間ギリギリにくるつもりだったけど、結局、あんなことがあって居づらさから急いでカフェに来てしまった。
「どうしたんだい?今日は元気がないね」
カフェの事務所で座っていた俺に店長が声をかけてきた。
「話してみてよ」
店長が俺の向かいのソファに腰かける。
「ほら、長生きしてる分何かアドバイス出来るかもしれないしさ」
(そうだな…一人で悩んでいても仕方ないか…)
「あの…」
少し話してみるかと、今日の昼休みの出来事を話しだすと、店長は聞き上手で、気がついたら柔道部に入ることになった所から全部話していた。
「うーん、それってその沙紀ちゃんの嫉妬なんじゃないかな?」
「はっ?」
「いや、その男がどうこうじゃなくてさ、要は彼女がずっとマネージャーとしてやってきたのに、美紗ちゃんが現れて、沙紀ちゃんからしたらぽっと出の美紗ちゃんにポジションを奪われる感覚なんじゃない?」
(そう…なのか…?)
「部員たちも沙紀ちゃんに何か言われたのかもね。美紗ちゃんはきっと悪いことはしてないと思うよ」
「そう…なんでしょうか…?」
店長が立ち上がって俺の隣に座った。
「ほら、ここで働いている時だってすごく一生懸命やってるし、それは僕にもお客さんにも伝わってるよ」
『ポタッ』
スカートを掴んでいた手の甲に熱いものが落ちた。
(あれ?)
それが涙だと分かったのは目の前がボヤけていたからだった。
「あれ?おかしいな…なんで…こんな…」
目を擦って誤魔化そうとした。
肩に手がまわされた。
「なっ、あっ」
俺はすぐに店長が何をしようとしているのかを察した。
「だめですっ、キスはっ」
「今は俺に任せて、ね?。ほら、力を抜いて…」
俺の肩を掴んだ店長の腕にはほとんど力がこもっていない。これまでと同様拒むことはできた。
店長の顔がゆっくりと近づいてくる。
あれほど唇だけは守ってきたのに、それなのに俺は。
俺は目を閉じた。
◆◆◆
11周目 9月24日(金) 午後4時30分 高樹美紗
(島津がいない)
「おいっ、結城」
「はいっ」
「高樹を見なかったか?」
「あっ、えっと…」
どうも歯切れが悪い。
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