アトランティス大陸の東部に位置し、その名を冠する大陸最大のアトランティス王国。その政治は、王家と王家に忠誠を誓う貴族達、さらには実務を行う官僚達で行われる。
貴族は自領を王家から与えられるものの、国政における役職を与えられた場合、自領の経営は他の者に任せて王宮に詰めなければならない。
さすがに自領を人任せにすることはできないため、彼らは通常三年ごとに新たに任命される。
今、王宮の合議の間では、役職つきの貴族達の中でも最も力を持つ者達が軍の編成で言い争っていた。
「ウォルトン殿の案が不可能だと先程から言っておるのが分からぬのか!」
王国の財務を担当する大公の一人である、シーレ財務卿が宰相アンソニー・ウォルトン卿の出した第一近衛兵団補充の計画に待ったをかけた。
当主であるエルワード・ウォルトンが先日病気で倒れたため、嫡男であるアンソニーが宰相の位を継いだのだが実力不足な上、父親から受け継いだ癇癪持ちが災いして周囲からの信頼は未だ得られていなかった。
「ではどうすればいいというのか!近衛兵団の再編成は急務であるぞ!」
「まあまあ、シーレ殿、ウォルトン殿、落ち着いて」
横から法務卿として会議に参加していたレンナー卿が興奮した二人に話しかけた。ウォルトン、シーレ、レンナーは三人とも大公家。この国の貴族の最高位ではあったが、経験や周囲の信頼には大きな差が生まれていた。
「貴様には関係ない!口を挟むな!」
自分の意見が通らず苛立っていたウォルトン卿が早速持病の癇癪を起こすが、これは悪手でしかない。
「ウォルトン殿、言葉を選ばれよ!貴殿の態度は貴族にあるまじきものであるぞ!」
シーレ卿がウォルトン卿を一喝した。
「ぐ…くそっ…」
一喝されて顔を真っ赤にしたウォルトン卿が歯ぎしりする。
レンナー卿はそんなウォルトン卿の非礼を歯牙にもかけず、軍務卿であり大公家の一つ、マローンの代理として出席していたレヴァイン卿を見た。
「レヴァイン殿……貴殿は何か腹案はお持ちかな?」
「ふむ…そうですな。シーレ殿がおっしゃられる問題は再編成をするにあたり、ウォルトン殿の案では国庫を圧迫しすぎるということでしょう」
(ほう、この顔ぶれの中でこの落ち着きよう…なかなかのものだな)
レンナー卿が瞠目するのには訳がある。
レヴァイン卿の爵位は伯爵。軍務卿の補佐であったが、大公マローンが病気で休養することとなり、先日急遽代理に抜擢されたばかりだったのだ。
「しかしっ!近衛兵団がいないというのは王の威信がっ!」
ウォルトン卿がヒステリックに叫んだ。
「わかっております。それに現状第二近衛兵団を分けて対処しておりますが、何かあると困りますからな」
「だから言っておるのだっ!多少国庫を圧迫してでも…」
「ウォルトン殿っ!もう既に今年の予算は出来上がっておるのだっ!臨時予算を出すにしろ卿の計画は金が掛かりすぎるっ!」
再びシーレ卿とウォルトン卿の二人が口論を始めた。
「お待ちください、シーレ殿、ウォルトン殿。確かに国庫の圧迫は民のためになりませぬ。しかし、軍は必要だ。そこで残り半年ほどのことだから、国軍から一部ずつ集めてくるというのはどうですかな?それなら、連携等も取れておりますし、一から訓練する必要も新たな装備も必要ありますまい」
「む…しかし、それでは何の問題解決にもならんっ!」
ウォルトン卿が再び気勢を上げる。だが、それに対してシーレ卿は考える様子を見せた。
「レヴァイン卿、つまり半年というのは今年いっぱいということですな?」
「ええ」
何を言っているんだ、と目をしばたたせたウォルトン卿がシーレ卿とレヴァイン卿をかわるがわる見る。
「シーレ殿、今から分かっていれば、来年度予算に計上することができるのでは?」
「む…確かに今から分かっておれば…」
レヴァイン卿の言葉にシーレ卿が渋々頷く。
レンナー卿が完全に蚊帳の外に置かれていたウォルトン卿の方を向いた。
「ウォルトン殿もどうですかな?」
「う?…うむ。それであれば…」
「では、急ぎ第1軍、第2軍に通達を出し、それぞれから1000ずつ集め訓練を始めるとしようか。近衛兵団として機能するまでに二ヶ月ほどは必要であろうが、シーレ殿、訓練にかかる予算をお願いいたします」
「くっ!はっはっは!よろしいでしょう、臨時予算を組みましょう!」
シーレ卿が笑い、そして合議が終わった。出て行く貴族の中で、俯いて屈辱に震えるウォルトン卿がいたが、気にかけるものはほとんどいなかった。
◇◇◇◇◇
王宮内のカルロの自室。
「お兄様ぁ!」
「ああ、エルザか?今日も仕事…!」
部屋に入って来るなりエルザは兄の言葉が終わる前に胸に飛び込んだ。
「元気だな。エルザ、学院の様子はどうだ?」
優しくエルザを受け止めたカルロが微笑む。
「あっ!そう言えば葵が来たのよっ!」
「アオイ?」
カルロは顔を思い出せなかった。
「そうよ。お兄様が呼んでくれたんでしょう?モニカが言うには内密に私の護衛として雇われたって?」
「ああ、ハンターか。いや、誰を呼べとは依頼していないから、知り合いが来たのなら偶然だな」
「そうなんだ…」
エルザは10歳以上歳の離れた兄に学院での出来事を話す。
「…それでね、葵ったらお皿に料理を山盛りにしてね…」
『コンコン』
「どうした?」
「パーマー様が来られました」
「そうか…すぐに行くと伝えてくれ。スマンな、エルザ」
「…わかりました。お兄様」
カルロとエルザが部屋を出て、謁見の間に入ると、パーマーとモニカが待っていた。
「すみません。王子、例の薬師と連絡を取る方法が見つかりましたので」
「エルザ様、そろそろ向かわねば式典に間に合いません」
エルザが名残惜しそうに振り返ってカルロに礼をする。
「お兄様、名残惜しいですけど、それではまた」
「ああ、また会おう」
エルザとモニカの後ろ姿が扉の向こうに消えたのを待って、パーマーが話し出す。
「王子、薬を買いに行った者ですが…」
「しっ、どこで誰が聞いているか分からん、お前の家で続きは聞こう」
◆◆◆◆◆
深夜、ロゴスの酒場。カウンターとテーブル席が三席だけの小さな店だ。
カルロとパーマーがバーの薄暗いテーブル席で酒を飲んでいた。
「パーマー、本当にここで良いのか?」
「ええ、そのはずですが…」
時計を見るとまだ待ち合わせ時間までは少しあったが、それらしい人物はカウンター席にもいない。
「その者に依頼をするためには正直にすべてを話さなければいけないそうです」
「それはさっきも聞いたぞ。いいだろう、我々には何も後ろめたいことはないのだからな。そんなことよりだな、王に薬を運んだメイドは既に辞めて行方不明なのだろう?だとすれば、薬の依頼をした人間も既にこの世には居まい。つまり、レヴァインには謀叛の証拠は何もないことになる」
『カランカラーン』
その時、扉が開く音がして二人が振り返って扉を見るが、誰もいなかった。
「私を呼んだのはお前か?」
いつの間にか男が目の前に座っていた。金髪のロングヘアがランプの灯りで煌めいていた。
「ひっ!」
パーマーが息を呑む。
「あ、あなたが闇の薬師(くすし)か?」
その場でなんとか口を開くことができたのはカルロの方だった。
「ああ、そう呼ぶ者もいるな。特に薬を作っているつもりはないのだが」
ここでようやく呆気にとられていたパーマーも冷静さを取り戻し、話を継いだ。
「こちらの方はこの国の皇太子殿下、カルロ・フェルディナント様です。現在皇太子のお父上、現在の王であらせられるアルフォンソ・フェルディナント様がご病気で臥せっておられます」
目の前にいるのがこの国の王族だと聞いて、闇の薬師は特に反応することなく話の続きを促す。
「ああ、王の病については聞いたことがあるな」
「しかし、それは病気ではなく、どうやら薬が盛られているようなのです。魔術探知にさえ引っかからない厄介な毒薬を…」
パーマーの言葉に薬師は顔色も変えず頷いた。
「おそらく、貴族の一人が謀叛を企てているのだと私達は考えているのですが、相手側は用心深い。薬を盛った証拠を見つける事は不可能でしょう。だから、王の体調を治すことで企てを潰したいのです」
「なるほど…しかし、謀叛だとしたらなぜ王を殺さない?」
そこでパーマーを制し、カルロが再び話しだした。
「それはまだ謀叛の中心人物は権力を持っていないからだろう。しかし、この数ヶ月でずいぶん力を持ってしまった。近い将来、もし実権を握れば分からなくなる」
「なるほどな。期限は?」
「ひと月で頼みたい。依頼料はここに。王の症状は…」
「いや、金も情報も必要ない。その依頼は既に受けている。では出来上がったらまた連絡をする」
『ガシャンッ!!』
その時、大きな音がして二人は驚いて振り向くと、グラスを落とした客が申し訳なさそうに頭を下げた。
そして顔をテーブルに向けたときには既に目の前から男は消えていた。
「これは…仕事を引き受けてくれたのでしょうか?」
パーマーが狐につままれたような顔でカルロを見る。
「そう、だな。だが、『既に受けている』とはどういう意味だ?誰かが別に依頼をしていたということか?だが、もしそうだとしても、それならなぜ出来上がったら私達に連絡すると言ったのだろう…?」
◆◆◆◆◆
「えっと、本人には聞いていないんだけどね、どうもラッセル先生とブリジットさんは恋人同士みたいなんだ」
僕は夜遅く、帰ってきたエルザの部屋で調査結果を報告していた。
「まさか?それ本当なの?」
「うーん。多分…」
「そっか、深夜に出ていくのは逢い引きってわけね」
僕は心配させるといけないから、学院長の事は言わなかった。あと、サラとジョシュについても何も知らない振りをすることにして自室に戻る。
(「主殿、学院長には注意しておいて下され」)
(「そうだね」)
(どうやら今のところ主殿の命というよりは貞操が狙われておるようじゃが…まあ、命に関わらないのであれば妾はむしろもっと乱れてくれて良いしのぉ)
村正は心の中に不穏なことを思いつつ、それは葵に伝えることはなかった。
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